神奈川県中郡二宮町 徳富蘇峰記念館 公式ホームページ

休館日

毎週月曜日と下記特別休館日
(月曜が祝日の場合は開館し、翌平日休館)

開館時間

10:00~16:00

入館料

一般 500円
高校・大学生 400円
障がい者手帳お持ちの方 400円
(スマホ手帳等の提示でも可)
*団体割引 (10名様以上)
       1割引き(450円)
*駐車場 園内3台・無料

特別休館日

*冬期休館日
*夏期休館日

※施設内全面禁煙です。



くまモン来館
         (2013.2.10)
 

 

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吉田松陰とその大いなる系譜展

2015年の特別展示                                            

 


『 吉田松陰とその大いなる系譜』展 

 

同時開催:「日本画に描かれた花と植物コレクション」展

 

会期:2015年1月6日(火)~12月20日(日)

 

 

 

 長州藩士・杉百合之助の次男として1830(文政13)年に生まれた杉寅之助(後の吉田松陰)は、6歳で山鹿流兵学師範・吉田家の家督を継ぎ、叔父玉木文之進(松下村塾創立者)の厳しい教えを受け、11歳の頃には藩主・毛利慶親に進講するほどの才を発揮しました。その後藩校・明倫館の兵学教授として出仕した松陰は、遊学中の1853(嘉永6)年ペリーの黒船を浦賀に見たその翌年、下田に停泊中のポーハタン号へ赴き密航を企てるも失敗、萩の野山獄に送られました。
 

      吉田松陰直筆の「三餘説」

その野山獄では、松陰妹の文(ふみ)が書物を差し入れるなど献身的に尽くしました。この文はやがて久坂玄瑞に嫁ぎ、久坂が禁門の変で倒れるや、姉・寿(ひさ)と死別した小田村伊之助(楫取素彦)と再婚します。恩赦により獄を出た松陰は松下村塾を引き継ぎ奮闘、1年数ヶ月にして“日本近代の礎”を後に築く多くの同志や人材を育てました。

1859(安政6)年、安政の大獄に連座し松陰は30年という短い生涯を閉じますが、その処刑から34年後の明治26年、31歳の徳富蘇峰は傑作と評され今も読み継がれる伝記『吉田松陰』を発刊します。(明治41年に改訂版) 吉田松陰を「日本精神の権化」と敬愛を込めて表した蘇峰は、ジャーナリストとして、また新聞経営者の立場より多くの松陰門下と関係を深めました。

今回の展示では、その交流の一端を書簡を通してご覧いただき、併せて蘇峰が前出著作『吉田松陰』や『近世日本国民史』執筆に当たり、蒐集した松陰関連の資料もご紹介いたします。大河ドラマ「花燃ゆ」の登場人物たちが今に残した筆跡や息遣いなどにもご注目いただけましたら幸いです。

 

 展示目録(PDF)はこちらから>>  


<< 吉田松陰コレクション >>

○ 吉田松陰直筆の「三余説」(「野山獄文稿」)
○ 京都府立図書館に建つ「吉田松陰拝闕詩碑」の原拓
○ 徳富蘇峰撰書 鎌倉瑞泉寺「松陰吉田先生留蹟碑」の原拓
○ 吉田松陰が愛用した雅号印の印譜

○ 吉田松陰の銅像(座像)

<< 展示資料 >>

○ 吉田松陰に影響を与えた三傑人の書軸(横井小楠・佐久間象山・藤田東湖)
○ 横井小楠や佐久間象山に影響を与えた佐藤一斎賛入りの孔子肖像画

○ 下田港とペリーが描かれた来航絵図
○ 徳富蘇峰著『吉田松陰』の生原稿と勝海舟による著作本の題字原本
○ 徳富蘇峰の歌集『残夢』で詠まれた吉田松陰題材の歌


<< 展示書簡一覧 >>

 

・伊藤利輔(博文)

・梶取素彦(小田村伊之助)

・山県有朋

・野村靖

・杉孫七郎

・乃木希典

・杉道助


◇長州五傑(長州ファイブ)
伊藤博文
山尾庸三
井上馨

・吉田庫三

・吉田茂子

・周布公平

・厚東常吉




<< 「日本画に描かれた花と植物コレクション展」展示美術品一覧 >>

 

川端龍子 「蘇峰立像」

山元桜月 「朴の木」

吉川朝衣 「菊」

麗子   「林下美人」

吉川朝衣 「空木」(うつぎ)

歌川広重 「花見」
 

福田眉仙 「紅梅」

野沢如洋 「竹」

平福百穂 「椿」

吉川朝衣 「鳥兜図」

山元桜月 「桜葉富士山」