資料一覧 14842 件
資料名 | 種別 | 年代 | 画像 | 備考 |
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蘇峰収集資料「昭和18年度健民運動経過報告書」 | 印刷物 | 1943 | 小冊子 12ページ 非売品 昭和18年12月30日 財団法人国民保険会発行 貴族院議員徳富猪一郎は賛助代表の一人 会長は一条実孝 収資226 | |
蘇峰収集資料「日本の日本を興せ 日本の日本人に返れ」 | 印刷物 | 1943 | 小冊子 ガリ版刷り 32ページ 「公刊前の印刷原稿を郵送するのでご批判いただきたい」といった内容の書簡挟み込み この書簡は「書簡」に移す 収資227 | |
蘇峰収集資料「昭和19年1月 財団法人大日本育英会概要」 | 印刷物 | 1943 | 冊子 64ページ 財団法人大日本育英会 会長・永井柳太郎 収資228 | |
蘇峰収集資料「国民総決起運動指導要綱索引」 | 印刷物 | 1943 | 小冊子 21ページ 昭和19年5月 国民総決起運動連絡本部 翼賛政治会より「国民総決起運動指導要綱索引」を送付した旨の書面(昭和19年5月7日)が挟み込まれている 表紙に赤鉛筆で「入用」の書き込みあり 収資229 | |
【自筆】書簡控え「東条首相閣下 御直」(昭和19年2月24日) | その他 | 1944 | 毛筆書き 19x330cm 「今回の内閣改造は勿論天下人心に一段の戦時気分を漂せたが閣下親から軍全の総元締に任せられたるは実に一死を賭して国難に衝らんとする御決心か一億民衆に透徹し快心の至りに候。」「要するに此際は一切顧慮せす強気一方にて御邁進を希望す」 蘇峰草稿3-311 | |
【自筆】講演草稿「日清日露及大東亜聖戦」(昭和19年3月6日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x1400cm 「但た仕合に日本の歴史に尤も大切なる三大戦に遭逢した。第一は三十二三歳 第二は四十二三歳 第三は七十九歳 第一には政府反対側野党側にあった。第二は政府側から見た。第三は今回てある国民側から云ふ可きてあろう。第一回には福沢先生陸羯南 第二回には池辺三山、村山、本山 今日は当時の者としては不肖私か生存している。国家の進運を直接に見ることは無上の幸運だ。 」「日清役も日露役も第一回世界戦役も一切合切剥奪し去らんとするに対し辛抱しきれすして大東亜戦争となったのだ。」 蘇峰草稿3-312 | |
【自筆】放送原稿「陸軍記念日放送原稿」(昭和19年3月10日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x560cm 「本日は四十年前日露か満州の平埜に於て雌雄を決する奉天大会戦の日てある」「即今玉砕なる熟語は誰か唱出したる乎。」 蘇峰草稿3-313 | |
【自筆】講演草稿「戦時の台湾」(昭和19年3月28日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x310cm 「台湾は我か南進の関門なり。」 蘇峰草稿3-314 | |
【自筆】原稿「自伝草案 3-1」(昭和19年) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x265cm 「求仁得仁」 蘇峰草稿3-315 | |
【自筆】原稿「自伝草案 3-2」(昭和19年) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x500cm 「予は未た曽て多数の者に□合詭随したることなし さりとて・・」「人は予を以て世渡上手と云ふ これは余り予を知らさるものなり」 蘇峰草稿3-315 | |
【自筆】原稿「自伝草案 3-3」(昭和19年) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x225cm 「我か一生の最大厄運は洋行帰朝後松方内閣に任官し進歩党崩れに立留りて松方内閣を支持したる際より始ある。」 蘇峰草稿3-315 | |
【自筆】講演草稿「改造」(昭和19年3月19日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x280cm 「時務関係、大江逸、妄言妄聴、愚問愚答」 蘇峰草稿3-315 | |
【自筆】講演草稿「偕行社論文」(昭和19年4月4日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x465cm 「今から八十二年前即文久三年四月十一日十二日は孝明天皇石清水行幸の日てある」「今日の大東亜戦争は孝明天皇の御宸念を奉体しての戦争てある。」 蘇峰草稿3-315 | |
【自筆】講演草稿「三戦争に就て」(昭和19年5月6日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x420cm 「現代を過小評価し過去を過大評価するは老人の常癖てある」「即今の戦争は有志未曽有の戦争とても比較は出来ぬ、其の広さに於て其の長さに於て且つ其の深さに於て」 蘇峰草稿3-315 | |
【自筆】講演草稿「アングロサクソンの功利主義」(昭和19年4月29日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x600cm 「我か日本程アングロサクソンと殆と一百年に近き期間接触したるものない」「日本は米英を友人として取扱ひ彼等より全く裏切られたのた。」「予は明治二十七八年役以来日英同盟を以て東洋の平和を保持せんと企てたり、日米同盟に至りては明治二十三年より主張せり」 蘇峰草稿3-316 | |
【自筆】答申案下書き「賀陽宮殿下御下印によりて」(昭和19年5月2日) | その他 | 1944 | 毛筆書き 18.5x190cm 「第一は薩長藩閥 第二は政党政治 第三は官僚政治」「民の為めの官てなく官の為めの官だ」「政府自から改善するを要す」 蘇峰草稿3-317 | |
【口述筆記】答申案控え「賀陽宮殿下への答申案」(昭和19年5月2日) | その他 | 1944 | 万年筆書き 18.5x25.5cmx8枚 「過日拝謁の際忌憚なく卑見を上陳すへり台命を辱ふす」「畏れなから今上陛下は御歴代の中にて最も英明成徳の天皇と仰き奉る唯た憾むらくは登極以来巳に二十年に近きも不幸輔弼の臣僚に此の成徳を皇民に光被せしむる政治家の欠乏することを」「現在は政務ありて政治なく事務家ありて為政者なく細工師ありて国家大計大略を企画実行する経世家なし」 蘇峰草稿3-318 | |
【自筆】辞任届書下書き「貴族院議員辞任届書」(昭和19年5月19日) | その他 | 1944 | 毛筆書き 18.5x35.5cm 「辞任御願 私儀病気に付貴族院議員辞任致度此段願上候也 昭和十九年五月十九日 貴族院議員徳富猪一郎 貴族院御中」「もう一枚下書き同封」 蘇峰草稿3-320 | |
【口述筆記】原稿「松尾敬宇中佐」(昭和19年5月22日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 17.5x25cmx4枚(徳富秘書課用箋使用) 「松尾敬宇中佐は、我か東火の産したる軍神の一。」「静峰記」 蘇峰草稿3-321 | |
【自筆】講演草稿「文章報国会」(昭和19年6月11日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x400cm 「予は文報の組織を大東亜聖戦の一大効果として・・」「文学は政治と握手した 政治は文学と握手した。」「予の如き者さへも引き出されたることは予に取りて面目の到りてあると同時に・・」 蘇峰草稿3-322 | |
【自筆】講演草稿「ヒットラー氏(比氏)に与るの書」(昭和19年6月15日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x530cm 「米英の独逸に向て第二戦線を開始したるは我等枢軸側に於ては戦局一新の内軸を与ふたるものなり」「独逸は固より我等も手具髄引て時節到来を希待した。」「新聞切り抜き同封・毎日新聞「ヒットラー総統へ東条首相激励電 」(昭和19年6月10日) 朝日新聞「言論報国会総会開く」」 蘇峰草稿3-323 | |
【自筆】講演草稿「遂に来る可きものは来た」(昭和19年6月24日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x295cm 「日本国民は有史以前から練成せられた国民てある。地震国てある。噴火国てある、暴風国てある・・」 蘇峰草稿3-324 | |
【口述筆記】原稿控え「朕惟ふに・・(詔勅案)」(昭和19年6月30日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 27x40cmx4枚(二つ折) 「朕惟ふに米英二国の帝国に対する暴戻非道の圧迫は遂に朕をして己むを得す二国に向て戦を宣するに至らしめたり示来二季・・」「昭和十九年六月三十日午前十時起稿草稿於晩晴草堂 徳富蘇峰先生 静峰塩崎彦市生写」 蘇峰草稿3-325 | |
【自筆】原稿控え「東条首相に手交の原稿(詔勅案)」(昭和19年7月1日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x165cm 「我か陸海の将兵と我か百僚有司と我か有衆と渾然一体となり以て朕の期待に順し・・」 蘇峰草稿3-326 | |
【自筆】原稿控え「勅諭案 東条内閣」(昭和19年7月1日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 42.5x31.5cmx3枚(蘇峰用箋使用)「封筒に直筆朱墨で「勅諭案 東条内閣19.7.1」」「最終版か?」 蘇峰草稿3-327 | |
【自筆】放送原稿「一億同胞の各位」(昭和19年7月8日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x355cm 「サイパン島の玉砕は一大恨言てある 今回のことはアッツ島玉砕と同一の論てはない。」「我等は決して力を落してはならない 泣言や愚痴は無用だ。」 蘇峰草稿3-328 | |
【自筆】放送原稿「呑敵の気魄」(昭和19年8月30日) | 草稿・原稿 | 1944 | 毛筆書き 18.5x980cm(第一と第二) 「信長、時宗」の名も 「スターリン、チャーチル、ルーズヴェルト」の名も 蘇峰草稿3-328 | |
【自筆】講演草稿「甲府コナヤ旅館に於て」(昭和19年7月6日) | その他 | 1944 | 毛筆書き 18.5x450cm 「武田信玄公の政治則是なり」 蘇峰草稿3-329 | |
【自筆】講演草稿「日米戦争は九十二年前に起る可きてあった」(昭和19年9月26日) | その他 | 1944 | 毛筆書き 18.5x590cm 蘇峰草稿3-329 | |
【謄写】書簡控え「小磯大将に与ふるの書 控」(昭和19年7月20日) | 草稿・原稿 | 1944 | 謄写資料(万年筆書き) 15.5x18cmx5枚(蘇峰学人用箋使用) 「一飽迄主戦一貫たるへき事 一日独の提携を緊密にすへき事 一海軍に活力を輸血する為め末次大将を起用する事 一宣伝省を新設し主戦の政策に一段の強味を加ふへき事」「今日の三大機関情報局、放送協会、新聞紙皆半死半生の情態に在り」「人和を失ふて政府の孤立にあり」 蘇峰草稿3-330 |