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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年4月29日) コラム(日日だより) 「石黒况翁」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【弔辞】「子爵石黒忠悳翁は、九十七歳の老齢を以て逝いた。」「日清戦役の際、川上将軍は曽て予に向って曰く、「若し石黒翁にして師団長たらば、好個の師団長たらん」と。」「南胃腸病院」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「南進策の遂行」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「大政翼賛会の改組問題などは、・・」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「実行の期に入る」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「日本の現時は、議論の場合でない。実行の場合だ。」「議論より実を行へなまけ武士、国の大事を、余所にみる馬鹿」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「思出の「唐詩正声」(ニ)」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「「唐詩正声」の取柄は、その凡例に、唐詩に関する、極めて簡明なる批評を加へていることだ。」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年4月26日) コラム(日日だより) 「楽閑荘雑音(九)歴史的人物の再検討」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「凡そ歴史的人間を鑑識するは、容易の業ではない。」「篤行には二宮尊徳、豪傑には西郷南洲、忠臣には楠木正成、乃木希典。」 「岩倉具視や、大久保甲東」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「興亜建設の基礎知識」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「楢崎観一」「東亜新秩序建設」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「不渡手形内閣たる勿れ」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「我等は近衛内閣が、其の天下人心の仰望、期待の絶頂に立っている今日の機会を、極めて有効的に活用せんことを(事珍らしき訳ではないが)、改めて警告せんとするものである。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「英国の奸計に警戒せよ」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「日本の上層社会、若しくは支配階級とも称す可き連中には、牢乎として抜く可らざる一種の迷信がある。それは英国は、決して悪事を做さず。英国は決して失敗しないと言うことだ。」「東亜の新秩序は先づ英国の勢力を、東亜より一掃するが、先決問題であるを知らずして。その英国と提携し、その英国と妥協し、その英国と戮協して、而して後東亜の新秩序を建設せんとす。」「本文の記者の如きは、英国に対して、何等の宿怨も無い。然も英国の真相を、我が同胞に向って説明するすでに三十余年。」「凡そ世の中に、英国ほど図々しき国はなく、英国ほど油断のならぬ国はない。」3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「汪精衛氏の気迫に学べ」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「汪南京政府主席の入京は、近来の盛事である。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年12月7日) コラム(日日だより) 「「西行」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「西行法師は、今も尚ほ歴史的人物としての謎題である。一般には枯淡、清浄の一出家歌人として受取られているが。」「川田順」「川田君の西行研究」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「蛇足と馬角」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「支那事変四週年」「何よりも先づ十一万に垂んとする護国の英霊に向って、感謝、崇敬の誠を致す。」「我が資力は全四年の聖戦を経て、尚ほ綽ゝとして余裕がある。」「山県、大山の巨頭は云わずもがな。二十七八年役に於ける川上操六、三十七八年役に於ける児玉源太郎に比す可き人物の何れにある乎は、姑らく後世史家の判断に俟つ。」「単り異彩を放ちたるは東条首相の談にして、彼が今日を以て皇国をして正に国家発展の為めに一大結論を行う可き時であると云うたのは、正に我が心を得たりと云わんよりも、一億国民の言わんと欲する所を道破したるものである。」「今日は既に支那事変の分水嶺に達している。我等は支那事変を単に支那に於て解決するに止らず、世界的にこれを解決せねばならぬ。此に所謂る一大経綸なるものが存している。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「顧みて他を言ふ」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「世界の大動乱に対して、我が国民は、五里霧中に在るが如き情態だ。」「曽て古は御用新聞と云うて、政府の政策を宣明するものを嘲り卑んだ。然も今日は御用新聞の仕事さへ務むるものなく、国家危急の大事に際して、皆な顧みて他を言ふの情態であるのは、如何にも心外千万であると思ふ。尚ほ言ひたい事は山程ある。然も自ら省みて沈黙す。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「運動は下から来る」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「今や我が日本は世界新秩序の率先者を以て任じ、進んで模範を独、伊諸国にも示さんとするの場合である。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「「芸備史研究」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「及川義右衛門」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「海賊的行動にあらざる乎」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「大英国は波涛を支配すと傲語するも、まさか我が房総半島の付近までも、支配する訳ではあるまい。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「遠慮会釈は無用」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「然も我が東亜共栄圏内の保全の為めには、遠慮会釈なく、自由の手腕を揮ふ可きの時節が到来したと云はねばならぬ。誰が到来せしめたかと云へば、米国である。切に云へば、米国の大統領ルーズヴェルト氏がその主なる一人である。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年11月29日) コラム(日日だより) 「門前の落葉」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「予が初めて購うたる油絵は、原田直次郎君の「秋雨行旅」の図であった。・・それは今も猶ほ山王草堂の一室に掲げてある。因に云ふ原田君は、鴎外森博士の親友にて、画格、人格両ながら卓然としていた。」「故岡田信一郎君の如きは、門前の楢や櫟の黄葉を愛して・・」「親友松村介石翁を、病床に見舞ひ」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 袋1にもあり 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「志士の風格 小久保城南翁を弔す」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【弔辞】「皇室中心主義は、実に彼の一生の信条であった。」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年12月20日) コラム(日日だより) 「「滅共読本」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「政治学博士五来欣造」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年12月12日) コラム(日日だより) 「「諸葛孔明異伝」の一節に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「東夷とは申す迄もなく、日本のことである。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「越後屋覚帳」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「男爵三井高陽」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「徹底的に、徹底的に」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「日本は確かに危機に瀕している。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「南方文化の探求」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「河村只雄」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「躾と不躾」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「躾とは一口に云へば、教養と云ふことだ。」「日本の従来の教育には、長幼の序とか、先輩、後輩の別とか、師弟の関係とか、若しくは朋友交際の誼とか、他人と応対の作法とか。其の言語、動作、周旋、接遇に就て、それぞれの教育が行われた。」「家庭は実に其の子女に取りては、最も重要の学校であった。」「今更云ふ迄もなく、教育の要は、品性を養い、人格を作ることだ。それには先づ躾け方より手下さねばならぬ、躾は家庭に始まりて、校舎になるものだ。」「昔の先生は、教育学者ではなかったが、其の門弟を教訓するの道を能く解していた。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「猛然たる飛躍」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「英国が大西洋に於ける空海の要地バーミユダ島を、米国に供租せしめたるを見よ。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年5月8日)コラム(日日だより) 「『子爵谷干城伝』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「維新当初より土佐には、政治、軍事、商務の三傑に於て、何れも傑出の人物を来たした。」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年8月12日) コラム(日日だより) 「病夫の譫言」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「本日(昭和十四年八月十日)漸く南胃腸病院を退院することとなった。」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年8月22日) コラム(日日だより) 「「幽芳歌集」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「菊池幽芳翁」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年8月17日) コラム(日日だより) 「「戸沢正令侯と其著作」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「文学博士福井久蔵」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和13年8月3日) コラム(日日だより) 「『武尊の麓』」に就て」 新聞切り抜き 1938 内容抜粋:【書評】「薄命の一処女江口きち女の遺稿」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり