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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【自筆】原稿「暗中模索」(昭和27年2月22日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 19.5x235cm 「在熊の諸賢、旧知の諸賢、新聞界、実業界など会いたい人名が書かれている」「帰郷に際しても熊本の産したる一老記者としての待遇を以て尤も光栄とするものなり」「托塩崎君」 蘇峰草稿4-487
【口述筆記】式次「蘇峰先生九十歳式次原稿」(昭和27年3月15日) その他 1952 万年筆書き 18x23cmx16枚 「参加名簿付」 蘇峰草稿4-488
【口述筆記】原稿「晋山頌辞」(昭和27年3月26日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 20x165cm 「青龍寺元寿和尚」「青龍寺は岳麓の禅林にして東海名藍の一なり」「蘇峰居士」 蘇峰草稿4-489
【口述筆記】原稿「管見一則」(昭和27年4月5日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x290cm 「明治十三年五月十三日同志社を去りて以来当時十八歳の青年の九十翁の現今に到る迄未た曽て一日も同志社を忘れたることなし」「若し今回の同志社訪問か同志社の為めに若干の新島精神を発揚し同志社本来の面目を発揮するを得は老生の望足矣」「予は新島先生報恩の一端として金壱百万円を寄附せんと欲す」「予は基督者として教会に列せす然も平生基督者に怍ちさる品性を長養せんことを日夕努めたることは新島先生も諒とせられたるところにして同志社に関する内外重要事件は殆んと予に相談せられたることは予かその知遇に感激したるところなり」「予は生きて新島の門弟たり死して新島の門弟たり未来永劫新島の門弟たることを人生としての最上の本望となし自らその幸運に満足するものなり」「同志社長老 現役各位」 蘇峰草稿4-490
【自筆】講演草稿「同志社と新島精神」(昭和27年4月9日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x335cm 「福沢翁は偉大なる国民教育家なり 而して其の教育の根本義は新島先生とは対蹠的なり即ち人生を独立自尊の範疇に入れ之を以て其の帰趨となすは福沢流なり その末流は遂に拝金家を高調するに至れり」「要するに福沢の教育は取らんか為めの教育にして新島の教育は与へんか為めの教育なり 維新以来福沢流は一世を風靡し日本は一大超躍的進歩をなせり然も日本か殆んと世界より除外視せられんとするの憂目を見たるも亦た之か為めなり」 蘇峰草稿4-491
【謄写】書簡控え「広瀬大人宛」(昭和27年4月) その他 1952 毛筆書き 18.5x138cm 「顧みれば大正七年その稿を起してより已に三十五年続稿いよいよ来る十九日には近世日本国民史の完成の見込に候」「保存」 蘇峰草稿4-492
【自筆】覚え書き(備忘録)「時局覚書一則」(昭和27年4月14日) その他 1952 毛筆書き 18.5x420cm 「昭和以来日本には不幸にして世界政局に対し指導的人物無きはかりてなく、対照的人物さへも乏しく多くは追随盲従者にあらされはその日暮らしの取引者左なけれは拱手傍観者に過きさりき」 蘇峰草稿4-493
【自筆】原稿「郷土愛」(昭和27年4月15日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x415cm 「近比は我邦ても国家なとと云ふことは流行せぬこととなれり 此れは国家主義の日本か世界の脅威たることを慮りて日本より愛国心を追放せんか為めに外人の指金による」「彼等は日本より一切の武装を取り上け丸裸にしたるはかりてなく其の護国の精神をも丸裸にせんとしたるものなり」 蘇峰草稿4-494
瓜生凡仙 名刺 1952 1枚 青雪庵 目黒区洗足 「喜三郎」と書き込みあり 裏面に「27.2.17」と書き込みあり 書簡なし
尾田学 名刺 1952 3枚 水俣市議会議長 九州各市議会議長相談役 医学博士 「二七.一.二九,三〇 来堂」「30.6.18」と赤鉛筆の書き込みあり 蘇峰の葬儀「32.11.8」の日付スタンプあり 実物は「葬儀」にあり
【自筆】原稿「日本の皇室と国民」(昭和27年4月16日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x405cm 「日本は殆んと総ての制度文物宗教学問を外国より伝来輸入せり 唯た皇室のみは我国固有の産物なり されは若し国宝と云ふへきものを求めは日本第一の国宝は皇室てある」「蘇叟九十」 蘇峰草稿4-495
【印刷物】挨拶状「謹啓貴地参向の節は格別の御懇情御芳志を忝うし・・」(昭和27年5月) 印刷物 1952 印刷物(コロタイプ) 26x36.5cm(蘇峰用箋使用・5部同封) 「一路無滞予定の如く五月二十三日晩晴草堂に帰着候」 蘇峰草稿4-496
【自筆】講演草稿「同志社に於けるアイサツ」(昭和27年5月21日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x230cm 「同志社各位」「天下一人の予を信たる者なきも先生は予を信した。先生は恒久の仰友なりき」「同志社は奉仕主義を以て立つ」「京都万家旅館にて」 蘇峰草稿4-497
【口述筆記】詩稿「阿蘇十二首」(昭和27年6月19日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x120cm 「今も尚忘れさらむか山の神名付の親は復も来りぬ(熊本地理学者角田政治君吾合撰大観峰名)」「佐佐木信綱先生御加筆を乞」「赤筆は佐佐木先生加筆」 蘇峰草稿4-498
【自筆】詩稿「阿蘇十二首」(昭和27年6月23日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x130cm 「右は昭和二十七年五月一日より二十三日帰堂迄郷里熊本滞在中五月十三日阿蘇山に登る帰着後作して阿蘇十二首と云」「写して熊本日日新聞社に送る其の控なり 静峰生」「昭和二十七年七月十八日毎日新聞支局石田氏に渡す控」「4-498のものとほぼ同じ・佐佐木信綱の赤筆は反映されていない」「並び立つ五つの岳を見渡せば孰れ兄とも弟ともわかぬ」 蘇峰草稿4-499
【口述筆記】原稿「新聞管見」(昭和27年7月25日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x265cm 「七月二十八日上京 毎日新聞社訪問の折幹部各位に認めさる可きものなり」「新聞第三の目的は指導てある。此の方面は現在の新聞は明治中期の新聞に比して寧ろ後退したるにあらさるやの疑なき能はす」 蘇峰草稿4-500
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第一 青年」(昭和27年8月2日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x117cm 「九十の老人青年には程遠き人間」「併し著者は今日も老書生てあり老青年てある 青年の気持ちも気分も能く判っている」「政党にも属せす官僚にも属せす軍人にも属せす学閥なく門閥なく財閥なく頂点立地独立の一人てある」「一生日本を愛し日本に奉仕せんか為めに生存したるものなり 故に諸君に向て此志を告け此志を結成せんことを期待するなり」「蘇叟九十」 蘇峰草稿4-501
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第二」(昭和27年8月4日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x200cm 「文豪にあらす文士文人にあらす・・新聞記者なり」「故に予は一面歴史家てあり他面青年の指導者を恒に期し居る□なり」 蘇峰草稿4-501
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第三 敗戦学校」(昭和27年8月5日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x275cm 「現代の青年は振古未曽有の境地にあり 屈辱弱点 敗戦学校として巣鴨刑務所を日本全国に拡大したるなり」「絶対降伏の恩恵として民主主義と自由主義とか天降せり これは占領者の宣言なり然もその民主もその自由も彼等の所謂自由民主のみ日本人には彼等の自由も民主もなし」 蘇峰草稿4-501
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第四 日本を知れ」(昭和27年8月6日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x430cm 「我等の祖先の頭脳には文化的強大国なることを認めない訳には参らない」「日本に所謂国民的精神の発起したるは聖徳太子時代からてある」 蘇峰草稿4-501
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第五 日本青年よ自尊心を取り戻せ」(昭和27年8月) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x200cm 「故に我等は一言す青年よ自尊心を取り戻せ。日本人たる自覚をせよ。」 蘇峰草稿4-501
【自筆】原稿「勝利者の悲哀 余禄第一」(昭和27年8月8日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x150cm 「本書は予か八十八歳昭和二十五年一九五〇年著作したるものなり・・マッカーサーは帰任 日本は名義たけても兎も角も独立自主の国となった」「併し日本は未た自力て自ら守ること能はす 占領軍は駐留軍として依然存在す 此の雨天てもない晴天てもなき時節か姑らく日本に存続するならん」 蘇峰草稿4-502
【自筆】原稿「勝利者の悲哀 余禄第二」(昭和27年8月9日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x180cm 「元来日米の関係は彼理ハリス以来良好てあった。日本人は露人を恐怖し英米人を尊敬した 予は日英同盟の主唱者 サトウの渉書を以て英国タイムス記者に紹介」 蘇峰草稿4-502
【自筆】書簡控え「吉田茂宛」(昭和27年8月30日) その他 1952 毛筆書き 18.5xcm 「日本国民の一人として吉田首相に一言を呈す」「同年8月28日の吉田による”抜き打ち解散”を批判した内容・同年9月8日毎日新聞一面に同内容の記事が掲載される」 蘇峰草稿4-503
【自筆】原稿「九十翁独語」(昭和27年) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 19x76cm 「老生一生の裁判は百敗院として自ら判決せり」 蘇峰草稿4-504
【自筆】原稿「雑誌『キング』原稿第一・太平洋戦後の青年諸兄男女」(昭和27年9月2日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x185cm 「恐らくは日本に於ける活ける歴史の一人」「日本の歴史は第一外国の文物及人間を招来し第二鎖国自給自足第三期は開国進取てある。」 蘇峰草稿4-505
【自筆】原稿「雑誌『キング』原稿第二・青年」(昭和27年9月2日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x246cm 「責任観念の第一は此の日本国を相続すること而して此国を世界に於ける模範的国家たらしむることてある それには国家に奉仕することか第一義てある」 蘇峰草稿4-505
【口述筆記】原稿「国体に就て」(昭和27年9月22日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 20x105cm 「日本の国体は君を頭となし臣民を胴体となし之を合して国家となすものなり 故に之を一君万民の政体と云ふなり」「小池城衛氏に贈られし国体観なり」 蘇峰草稿4-506
【口述筆記】原稿「国史大観」(昭和27年10月3日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x445cm 「国史は日本精神の深泉なり大和民族自信自□の基本なり」「右原文は同日藤谷女史に与へられたるもの 静峰塩崎生拝写し保存するものなり」 蘇峰草稿4-507
【自筆】原稿「明治時代と明治天皇」(昭和27年10月17日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x945cm 「明治天皇誕生満百年期なり 天皇と共に明治時代を抱ひ明治時代と共に天皇を思ふ。」 蘇峰草稿4-508