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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【口述筆記】原稿「国史雑詠十首」(昭和17年3月7日) 草稿・原稿 1942 鉛筆書き 19.5x13.5cmx22枚 「国史雑詠とは、我か国史の史実に就てでは無い。国史そのものに就ての予の意見を、簡明に述べたるもの。」「於熱海清快楼内楽閑荘」 蘇峰草稿3-297
【口述筆記】原稿「皇国女徳の長養」(昭和17年3月19日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx8枚(蘇峰学人用箋使用) 「今更ら事珍らしく、皇国と英、米、蘭諸国との、勝敗の原因に就き講釈する必要は無い。只だ特に見逃しし難き一事がある。それは皇国女性の力である。」「於熱海清快楼内楽閑荘」 蘇峰草稿3-298
【自筆】漢詩草稿「回天偉業」(昭和17年3月20日) 草稿・原稿 1942 毛筆書き 18.5x480cm 「老蘇八十」 蘇峰草稿3-299
【口述筆記】原稿「土に親ましめよ」(昭和17年6月4日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「或る同盟国の一記者は予に問ふて曰く。現時に於ける日本の武勇は、真に天下無敵である。」 蘇峰草稿3-300
【口述筆記】原稿「印度の独立には実力を要す(夕刊用)」(昭和17年6月15日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx10枚(蘇峰学人用箋使用) 「元来三億五千万の印度人が、十万にも足りない英人の為に支配せられ、英人の搾取機関として存在することは、不合理千万の極である。」 蘇峰草稿3-301
【口述筆記】原稿「関東軍に感謝す」(昭和17年6月28日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx8枚(蘇峰学人用箋使用) 「六月二十七日の夜、関東軍報道部長福山大佐の放送は、我等一億国民が、感謝と感激を以て聴取したる所。」 蘇峰草稿3-302
【自筆】講演草稿「言論報国会・東条首相の放送」(昭和18年9月22日) 草稿・原稿 1943 毛筆書き 18.5x535cm 「我か言論報国会は最も此の方面に全力を効さんとするものなり」 蘇峰草稿3-307
【自筆】放送原稿「新年放送原稿(第一稿・第二稿)」(昭和18年12月24日) 草稿・原稿 1943 万年筆書き 17.5x25cmx13枚(第一稿)14枚(第二稿)(徳富秘書課用箋使用) 「明けましてお芽出度うございます。全国の皆様私は「日本は神国なり」と申す題目についてお話を申してみたいと思います。」 蘇峰草稿3-310
【自筆】講演草稿「日清日露及大東亜聖戦」(昭和19年3月6日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x1400cm 「但た仕合に日本の歴史に尤も大切なる三大戦に遭逢した。第一は三十二三歳 第二は四十二三歳 第三は七十九歳 第一には政府反対側野党側にあった。第二は政府側から見た。第三は今回てある国民側から云ふ可きてあろう。第一回には福沢先生陸羯南 第二回には池辺三山、村山、本山 今日は当時の者としては不肖私か生存している。国家の進運を直接に見ることは無上の幸運だ。 」「日清役も日露役も第一回世界戦役も一切合切剥奪し去らんとするに対し辛抱しきれすして大東亜戦争となったのだ。」 蘇峰草稿3-312
【自筆】放送原稿「陸軍記念日放送原稿」(昭和19年3月10日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x560cm 「本日は四十年前日露か満州の平埜に於て雌雄を決する奉天大会戦の日てある」「即今玉砕なる熟語は誰か唱出したる乎。」 蘇峰草稿3-313
【自筆】講演草稿「戦時の台湾」(昭和19年3月28日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x310cm 「台湾は我か南進の関門なり。」 蘇峰草稿3-314
【自筆】原稿「自伝草案 3-1」(昭和19年) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x265cm 「求仁得仁」 蘇峰草稿3-315
【自筆】原稿「自伝草案 3-2」(昭和19年) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x500cm 「予は未た曽て多数の者に□合詭随したることなし さりとて・・」「人は予を以て世渡上手と云ふ これは余り予を知らさるものなり」 蘇峰草稿3-315
【自筆】原稿「自伝草案 3-3」(昭和19年) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x225cm 「我か一生の最大厄運は洋行帰朝後松方内閣に任官し進歩党崩れに立留りて松方内閣を支持したる際より始ある。」 蘇峰草稿3-315
【自筆】講演草稿「改造」(昭和19年3月19日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x280cm 「時務関係、大江逸、妄言妄聴、愚問愚答」 蘇峰草稿3-315
【自筆】講演草稿「偕行社論文」(昭和19年4月4日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x465cm 「今から八十二年前即文久三年四月十一日十二日は孝明天皇石清水行幸の日てある」「今日の大東亜戦争は孝明天皇の御宸念を奉体しての戦争てある。」 蘇峰草稿3-315
【自筆】講演草稿「三戦争に就て」(昭和19年5月6日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x420cm 「現代を過小評価し過去を過大評価するは老人の常癖てある」「即今の戦争は有志未曽有の戦争とても比較は出来ぬ、其の広さに於て其の長さに於て且つ其の深さに於て」 蘇峰草稿3-315
【自筆】講演草稿「アングロサクソンの功利主義」(昭和19年4月29日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x600cm 「我か日本程アングロサクソンと殆と一百年に近き期間接触したるものない」「日本は米英を友人として取扱ひ彼等より全く裏切られたのた。」「予は明治二十七八年役以来日英同盟を以て東洋の平和を保持せんと企てたり、日米同盟に至りては明治二十三年より主張せり」 蘇峰草稿3-316
【自筆】原稿「東条首相贈印原稿」(昭和18年4月吉日) 草稿・原稿 1943 毛筆書き 42.5x30.5cm(山王草堂蘇峰用箋使用) 「首相の尊名は余りに力強き感を与る間。雅号は成るへく滋味、穏妥の方・・」「寛堂、達堂、玄堂、弘堂、成堂、論堂、平泉、北水、巖嶺、楽山、愛岳、望嶽、如雲、耕雲、看雲、淡泊、抱一、亜洲の候補を記載」「天空海□印・謙堂印・英機臣印の三課組みの印譜あり」「印材・法隆寺古材、撰文・蘇峰老人、奏刀・高畑翠石」 蘇峰草稿3-319
【口述筆記】原稿「松尾敬宇中佐」(昭和19年5月22日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 17.5x25cmx4枚(徳富秘書課用箋使用) 「松尾敬宇中佐は、我か東火の産したる軍神の一。」「静峰記」 蘇峰草稿3-321
【自筆】講演草稿「文章報国会」(昭和19年6月11日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x400cm 「予は文報の組織を大東亜聖戦の一大効果として・・」「文学は政治と握手した 政治は文学と握手した。」「予の如き者さへも引き出されたることは予に取りて面目の到りてあると同時に・・」 蘇峰草稿3-322
【自筆】講演草稿「ヒットラー氏(比氏)に与るの書」(昭和19年6月15日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x530cm 「米英の独逸に向て第二戦線を開始したるは我等枢軸側に於ては戦局一新の内軸を与ふたるものなり」「独逸は固より我等も手具髄引て時節到来を希待した。」「新聞切り抜き同封・毎日新聞「ヒットラー総統へ東条首相激励電 」(昭和19年6月10日) 朝日新聞「言論報国会総会開く」」 蘇峰草稿3-323
【自筆】講演草稿「遂に来る可きものは来た」(昭和19年6月24日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x295cm 「日本国民は有史以前から練成せられた国民てある。地震国てある。噴火国てある、暴風国てある・・」 蘇峰草稿3-324
【口述筆記】原稿控え「朕惟ふに・・(詔勅案)」(昭和19年6月30日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 27x40cmx4枚(二つ折) 「朕惟ふに米英二国の帝国に対する暴戻非道の圧迫は遂に朕をして己むを得す二国に向て戦を宣するに至らしめたり示来二季・・」「昭和十九年六月三十日午前十時起稿草稿於晩晴草堂 徳富蘇峰先生 静峰塩崎彦市生写」 蘇峰草稿3-325
【自筆】原稿控え「東条首相に手交の原稿(詔勅案)」(昭和19年7月1日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x165cm 「我か陸海の将兵と我か百僚有司と我か有衆と渾然一体となり以て朕の期待に順し・・」 蘇峰草稿3-326
【自筆】原稿控え「勅諭案 東条内閣」(昭和19年7月1日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 42.5x31.5cmx3枚(蘇峰用箋使用)「封筒に直筆朱墨で「勅諭案 東条内閣19.7.1」」「最終版か?」 蘇峰草稿3-327
【自筆】放送原稿「一億同胞の各位」(昭和19年7月8日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x355cm 「サイパン島の玉砕は一大恨言てある 今回のことはアッツ島玉砕と同一の論てはない。」「我等は決して力を落してはならない 泣言や愚痴は無用だ。」 蘇峰草稿3-328
【自筆】放送原稿「呑敵の気魄」(昭和19年8月30日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x980cm(第一と第二) 「信長、時宗」の名も 「スターリン、チャーチル、ルーズヴェルト」の名も 蘇峰草稿3-328
【謄写】書簡控え「小磯大将に与ふるの書 控」(昭和19年7月20日) 草稿・原稿 1944 謄写資料(万年筆書き) 15.5x18cmx5枚(蘇峰学人用箋使用) 「一飽迄主戦一貫たるへき事 一日独の提携を緊密にすへき事 一海軍に活力を輸血する為め末次大将を起用する事 一宣伝省を新設し主戦の政策に一段の強味を加ふへき事」「今日の三大機関情報局、放送協会、新聞紙皆半死半生の情態に在り」「人和を失ふて政府の孤立にあり」 蘇峰草稿3-330
【自筆】講演草稿「中等教育練成会席上 講演要領」(昭和19年8月2日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 18.5x165cm 「戦局は苛烈」「或は空襲は愚ろか本土上陸するかも知れない。」「教育者は自から教育し子弟と共に自から講学することか大切」 蘇峰草稿3-331