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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年2月17日) コラム(日日だより) 「「妻を描く」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「大岡龍男」 3F倉 蘇峰集37
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年3月3日) コラム(日日だより) 「「エマースン論文集」に就て(3)」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「」 3F倉 蘇峰集37 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年6月6日) コラム(日日だより) 「伊予小遊記(四)神戸村の二泊」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「伊予西条町に蘇峰会支部の成立したるは、実に塩崎彦市君の、多年に亘れる冥々裡の努力に負ふ所多大であることは、同町人士の斎しく認知する所である。」「西条町外神戸村の醸造家」「神戸村は加茂川の清流を控へている。加茂川は、源を石槌山に発して・・」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 蘇峰集37
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年6月3日) コラム(日日だより) 「伊予小遊記(二)大山祇神社参詣(1)」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「瀬戸内海水軍の由来、和寇の淵原等を説明」「西条」「今治」「大三島」「鯛飯」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 蘇峰集37
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年6月2日) コラム(日日だより) 「伊予小遊記(一)西条町蘇峰会」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「神戸蘇峰会」「大阪商船会社の天祐丸」「大阪蘇峰会」「泉寿亭」「住友クラブ」「別子銅山」「伊予蘇峰会支部の発会式」「伊予支部長には松山の元老にして、予の老友井上要君が推薦せられた。」「西条は三万石の小藩」「紀州徳川の支藩」「徳川親藩、御三家由縁の藩として、矜持があった。」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 蘇峰集37
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「北に壁南に窓」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「長州の村田清風」「原則としては、国家は東西南北に伸張す可きものだ。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「当局自から其の標本を示せ」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「孔夫子」「他の隠微を指摘して、之を攻撃することは、決して有道者の事ではない。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「知己の言」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「誉めらるる身の持ちにくさ」「盟邦独逸ヒットラー大総統」「来栖大使に手交したる祝辞」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「元老の最後、最後の元老」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【弔事】「曽て興津詣を、政局転変の徴象と見做したる世相も、今は昔話となった。」「明治の第三期以来、伊藤公を以て創まりたる元老制は、公と共に其の終りを告げた。而して大正の末期よりして、元老制は、実に公の一人舞台であった。」「西園寺公には相応の勇があった。」「藩閥、軍閥の巨頭たる山県公等をして辟易せしめた。要するに西園寺公は伊藤公に取りては、無二の秘蔵児であったが、山県公に取りては、一種の苦手であった。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「更に一歩を転ぜよ」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「三国軍事同盟は成立」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「自由主義の清算と責任の自覚」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「自由主義は個人主義であり、個人主義は、利己主義であり、利己主義は、必らず無責任に到達せずんば休まず。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「法と人」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「官僚の眼中には法ありて人無し。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年月日) コラム(日日だより) 「議論倒れ」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「七十幾回の五相会議で、遂ひに何等の決議を見出さなかった」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「日米国交の過去現在未来」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「・・足掛け八十八年間、日本は恒に米国に対しては、五歩も十歩も譲りて、退譲、妥協を唯一の交際法と心得ている様だ。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「「私の三十五年」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「名人木村義雄の著」「報知新聞」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「『実業人の気持』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「藤原銀次郎」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「政権のあるところ」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「政治は公明を必須とす。何事も闇取引は不可。一切の悪は、暗所より生ず。政治に於て尤も然りとする。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年2月11日) コラム(日日だより) 「「研究評釈 坂翁大神宮参詣記」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「文学博士加藤玄智、及び其の夫人節子女史の共著」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「『光華抄』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「東本願寺法主裏方大谷智子女史」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年2月3日) コラム(日日だより) 「「時局下の思想と経済」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「法学博士河田嗣郎」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「嶽麓の雷雨」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「予平生愛誦する佐久間象山先生の詩」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「神秘の国日本 科学と信仰」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「楽閑荘雑音(二)門前の落葉」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「予は毎朝毎夕、五六種の新聞を閲するが、何時も先づその黒枠が眼に着く。予の秘書の仕事は、弔電を打つことと、弔文を綴ることが、殆んど其の重なる一である。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「片岡健吉先生伝」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「川田瑞穂」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「創造十年」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「郭沫若君の著にして、猪俣庄八君の訳。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「古稀小記」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「相馬半治」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「世界の維新、日本の国策定る」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「アングロ・サクソン帝国は、世界の徳川幕府である。欧州に於ては、独逸、伊太利の両国は、清新、新鋭の力を挙げて、この旧体制の打破に努めている。我が皇国は、東亜に於て、新年来自から進んで、その任務に従いつつある。」「東亜の全国に亘りて、アングロ・サクソン帝国は、其の搾取政策を逞くする茲に百幾年。」「我が皇国は、それに向って、東亜民族解放の天職を尽くしつつあるのだ。」「日、独、伊の三国同盟は、人為と言わんよりは、寧ろ天意である。世界の吸血鬼として、随所に其の貪欲を逞しくしつつあるこの旧体制を打破するには、是非共三国の協戮を必須とするは、宛も倒幕に、薩長二藩の連合を必須としたると同様である。」「歴史家に譲りて」「即今近衛首相によりて提唱せられ、いよいよ実行の運に進みつつある新体制運動も、此の世界維新の目標ありて、始めて真剣にそれが実行せらる可きだ。」「我等はこの三国戮協の約束成立に就ても、実に有り難き今上天皇の聖明に感激せずして已む能わない。」「我等は平生口にする天皇親政の大なる実物教訓を拝して、実に返す返すも我が国体の有り難きに感銘せざるを得ない。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年2月9日) コラム(日日だより) 「「越の山風」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「山県含雪公は、恒に自ら一介の武弁と称した。然も公は決して一介の武弁では無った。其の文采、風流は、和歌、築庭、詞曲、其他の芸術方面に、手が届いていた。」「参謀本部」「陸軍省」「山県有朋伝の編纂者たる記者は・・」「西郷南洲」「藤田東湖」「長岡城」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「生ける政治と死せる政治」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「政治には生命がある。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「中央アジア横断鉄道建設論」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「鉄道監察官湯本昇」 3F倉 袋1