資料一覧 15002 件
| 資料名 | 種別 | 年代 | 画像 | 備考 |
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| 蘇峰関係資料「蘇峰先生を囲む会出席者芳名」 | その他 | 1955 | 芳名帳 墨書 41名の署名あり 昭和30年11月20日「蘇峰先生を囲む会」の報告の集い 蘇関資3‐438 | |
| 蘇峰関係資料「徳富蘇峰先生滞洛日程・同志社創立80周年記念式次第」 | その他 | 1955 | ・ガリ版刷りの徳富蘇峰先生滞洛日程(昭和30年11月26日~30日)2枚 1枚には鉛筆で書き込みあり ・同志社創立80周年記念式次第 昭和30年11月29日午前10時より 栄光館礼拝堂にて 蘇峰は出身者代表として祝辞を述べた ・塩崎秘書宛て文書(印刷)「同志社創立80周年記念式典 登壇並びに貴役御承引御願いの件」 式典の席順案内と当日の注意点が書かれている 蘇関資3‐439 |
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| 蘇峰関係資料「感謝決議」 | その他 | 1957 | 墨書 和紙 同志社校友会による蘇峰への感謝決議文 昭和32年5月19日 同志社校友会長・村田竹治郎 蘇関資3‐444 | |
| 蘇峰関係資料「『勝利者の悲哀』の二色刷広告」 | その他 | 1952 | 38×107cm大の広告ポスター 「愈々発売! 憂国の大文章 徳富蘇峰著 勝利者の悲哀 世界情勢の批判と祖国日本への悲願 本書は筆者がマッカーサー元帥に上書せんとし追放の身を遂に果し得ず今日漸く公刊の秋を得た問題の書 講談社刊・百円」とある 蘇関資3‐445 | |
| 蘇峰関係資料「青年同盟会綱領(未定稿)」 | その他 | 松方正義公伝記編纂所用箋にペン書き 1枚 綱領が三項、書き記してある 蘇関資3‐446 | ||
| 蘇峰関係資料「蘇峰先生彰徳会会報『晩晴 第2号』のゲラ」 | その他 | 1967 | 「蘇峰先生雅号の由来 塩崎彦市」「蘇峰堂を訪ねて 本島寛」「蘇翁時語 遊記山人」のゲラ(校正あり) 蘇関資3‐447 | |
| 蘇峰関係資料「渡辺幾治郎・徳富蘇峰・塩崎彦市座談会」 | その他 | 1952 | 早稲田大学社会科学研究所用箋35枚に座談会の内容がぺん書きされている 明治14年の政変・大隈重信という人物について 蘇峰が89~90歳の時の座談会と思われる 蘇関資3‐449 | |
| 蘇峰関係資料「日米新聞記者の会合における決議」 | その他 | 「日米の親善は世界平和の骨子にして、且つ日米両国の俱に共に基調とするところなり・・・本大会は招待せる米国同業者の熱誠なる賛同に依り、彼我戮協し、愈両国親善の目的に向って最善の努力を效さんことを決議す」 蘇関資3‐452 | ||
| 蘇峰関係資料「記録映画『文豪徳富蘇峰』製作趣意書・脚本梗概」 | その他 | 1956 | 財団法人日本映画科学研究所と蘇峰会の共同製作 蘇関資3‐453 | |
| 蘇峰関係資料「徳富蘇峰翁 熱海編」 | その他 | 1941 | 脚本 10頁 昭和16年2月25日撮影 蘇峰の熱海・楽閑荘における様子をまとめた脚本 蘇関資3‐455 | |
| 蘇峰関係資料「大楠公の御盛徳 湊川神社宮司 藤巻正之」 | その他 | 1956 | 小冊子 19頁 15×10.5cm 昭和31年1月3日 吉野精神普及会発行 非売品 見返しに蘇峰の筆あり 「何事も変り果てたる世の中に昔ながらの富士の神山」 蘇関資3‐456 | |
| 蘇峰関係資料「日本週報 12月15日号(第391号)」 | その他 | コピー資料 「日本を戦わせたのは誰か! 宣戦の大詔に偽りなし 東京裁判に叩きつけた徳富蘇峰の未発表大秘録」 日本週報12月15日号(実物)は全8冊所蔵(3F倉にあり) そのうち1冊は蘇関資3-319にあり 蘇関資3‐457 | ||
| 蘇峰関係資料「祝 蘇峰先生九十四誕辰次第」 | その他 | 1956 | 墨書 和紙 28×85cm 94歳の誕生祝賀会の式次第が書かれている 蘇関資3‐459 | |
| 蘇峰関係資料「中山詩稿の写し」 | その他 | 1914 | 墨書 和綴じ 立花玉蘭「中山詩稿」の写し 「大正3年6月8日 肥後阿蘇郡長陽村大字河陽字□ノ木新温泉旅館に於て写す 筑川 渡辺村男」とある 見返しには朱筆で蘇峰の書き込みあり 蘇関資3‐460 | |
| 蘇峰関係資料「清水詩碑所在土地の件」 | その他 | 1956 | 清水市長 鈴木平一郎宛 詩碑所在地の寄附採納願 昭和31年5月 2部あり 清水市役所商工観光課より 蘇関資3‐461 | |
| 蘇峰関係資料「蘇峰先生九十四回誕辰参賀芳名」 | その他 | 1956 | 芳名帳 昭和31年3月15日 於晩晴草堂 235名の署名あり 蘇関資3‐462 | |
| 蘇峰関係資料「絶筆」 | その他 | 1957 | 色紙に貼られた絶筆 赤鉛筆でわら半紙に書かれた和歌 「吼え狂ふ八重の汐路を凌ぎ来て心静けく港に入る」 色がかなり退色している 蘇関資3‐463 | |
| 蘇峰関係資料「故徳富猪一郎葬儀順序」 | その他 | 1957 | 葬儀式次第 印刷物 18×13cm 日時・昭和32年11月8日(金)午後1時 於・日本基督教団霊南坂教会 蘇関資3‐464 | |
| 蘇峰関係資料「故 蘇峰徳富猪一郎先生埋葬式次第」 | その他 | 1958 | 埋葬式次第 印刷物 18.5×13cm 日時・昭和33年1月25日 午後4時 於・若王子山同志社墓所 蘇関資3‐465 | |
| 蘇峰関係資料「中央公論 8月号 第830号」 | その他 | 1957 | 雑誌 昭和32年8月1日発行 382頁 「明治の遺臣映画をみる 対談 徳富蘇峰、渡辺邦男」、渡辺邦男監督の映画「明治天皇と日露大戦争」をみた蘇峰、塩崎彦市と渡辺監督の対談が収録されている 蘇関資3‐466 雑誌として書籍にも登録済 | |
| 蘇峰関係資料「昭和30年~31年の1年間の蘇峰の様子」 | その他 | 1955 | 巻紙 墨書 19×330cm 塩崎彦市筆 「昭和30年3月16日発熱」に始まり、「昭和31年2月11日 紀元節」までの蘇峰の行動の様子が書かれている。「この頃の一日」として蘇峰の1日のタイムスケジュールも最後に鉛筆書きで加えてある。蘇峰蘇関資3‐467 | |
| 蘇峰関係資料「蘇峰先生詩碑除幕式次第・蘇峰先生を囲む会次第」 | その他 | 1957 | 式次第 印刷物 蘇峰先生詩碑除幕式(昭和32年5月26日午前11時 於蘇峰堂) 蘇峰先生を囲む会(昭和32年5月26日午前11時半 於蘇峰堂) 蘇関資3‐468 | |
| 蘇峰関係資料「緊急時打電先」 | その他 | 1957 | 便箋7枚にペン書き 52名の名前と住所が書かれている 蘇関資3‐470 | |
| 蘇峰関係資料「晩晴草堂図書目録作成について」 | その他 | 1957 | 同志社の用箋にペン書き 田中良一(同志社管理部長)が塩崎彦市と新島研究会の森中に宛てたもの 蘇関資3‐471 | |
| 蘇峰関係資料「御報告 老先生最後の様子」 | その他 | 巻紙 墨書 19×630cm 塩崎筆 整理用白封筒に「御報告 33.4.24」と鉛筆書きあり 蘇峰の最後の様子が巻紙に記されている 蘇関資3‐472 | ||
| 蘇峰関係資料「病気見舞いの名前控え」 | その他 | 便箋3枚 鉛筆書き 見舞品、見舞金、見舞電報など、送信者の名前が書かれている 「蘇峰先生最後の口述原稿」の桐箱から出てきたもの 蘇関資3‐473 | ||
| 蘇峰関係資料「蘇峰先生大阪・中京旅行中来信控」 | その他 | 1938 | 徳富秘書課用箋5枚 ペン書き クリップで止めてあった部分錆びて破損 昭和13年11月15日から17日までの大阪・中京旅行中に届いた来信の控え 蘇関資4‐474 | |
| 蘇峰関係資料「流れ 第3巻第1号」 | その他 | 雑誌 昭和30年1月18日発行 「世界の平和と日本の平和 徳富猪一郎」掲載 付箋あり 蘇関資4‐475 雑誌としても他に2冊登録あり | ||
| 蘇峰関係資料「対談 徳富蘇峰・正宗白鳥 一世紀を生きぬく法」 | その他 | 1955 | コピー資料 蘇峰93歳、正宗白鳥77歳の時の対談 蘇関資4‐480 | |
| 蘇峰関係資料「津奈木公民館報 第69号」 | その他 | 館報 B4サイズ両面印刷 昭和32年7月5日発行 編集人・斉藤亀齢 芦北郡津奈木村 館報の題字は蘇峰筆 蘇関資4‐484 |