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資料一覧 14871 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【自筆】手稿「淇水翁病床記 三止」(大正3年5月26日) 草稿・原稿 1914 毛筆書き 19x240cm 「太多雄、健次郎(蘆花)」の名も 「大正3年5月26日午後五時半於青山草堂 猪」 蘇峰草稿1-53
【自筆】手稿「啓上時局実不容易所詮日本も独逸米国相手に一即争の・・」(大正3年8月9日) 草稿・原稿 1914 毛筆書き 19x81cm 蘇峰草稿1-54
【自筆】漢詩草稿「欅芳韵」(大正4年盛夏) 草稿・原稿 1915 毛筆書き 19x85cm 蘇峰草稿1-55
【自筆】漢詩草稿「鶯花春乍・・」(10年3月31日) 草稿・原稿 1921 毛筆書き 18.5x67cm 蘇峰草稿1-55
【自筆】書簡控え「蓮山老兄宛」(大正6年3月8日) 草稿・原稿 1917 万年筆書き 16x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「大隈、板垣」の名も 蘇峰草稿1-56
【自筆】社長訓示「編輯 印刷 発送各部御中」「地方版の記事後れの事」「編輯局員勤怠取締の事」(大正6年8月4日) 草稿・原稿 1917 毛筆書き3種 18.5x112cm 18.5x50cm 18.5x50cm 蘇峰草稿1-57
【自筆】手稿「黄山谷集」購入のいきさつ(大正7年3月17日) 草稿・原稿 1918 毛筆書き 19x59cm 「猪誌」 蘇峰草稿1-58
【代筆】漢詩草稿「遊支偶詠」(大正7年2月) 草稿・原稿 1918 毛筆書き 16x23.5cm(和綴) 「大正6年9月15日発程 12月9日帰京 並木仙太郎拝写」 蘇峰草稿1-59
【印刷物】「各緒言」綴じ(大正5年9月25日~大正12年4月6日) 草稿・原稿 1916 印刷物の切抜き(8種類) 12.5x19cm 「大戦後の世界と日本・大正の青年と帝国の前途・織田氏時代完成に就て・運命と人・朝鮮役刊行に就て・豊臣氏時代完成に就て・関原役に就て・大阪役に就て」 蘇峰草稿1-60
【自筆】書簡控え「チロールへの返翰」 草稿・原稿 毛筆書き 15.5x18.5cmx4枚(国民新聞社原稿用紙) 「桂公、日英同盟」の文字も 蘇峰草稿1-61
【代筆】漢詩草稿「蘇峰先生九州遊詩」(大正11年) 草稿・原稿 1922 毛筆書き 16.5x24.5cm(和綴) 「大正11年4月22日発程 5月26日帰京」 蘇峰草稿1-62
【自筆】講演草稿「祝賀会挨拶筋書(『国民小訓』)」(大正14年3月19日) 草稿・原稿 1925 毛筆書き 19x190cm 「久邇宮殿下の御咸意、本書起稿の動機、大正7年以来修史、日本の宝は日本歴史」 蘇峰草稿1-63
【自筆】手稿ノートブック「病間漫録」(大正7年9月4日) 草稿・原稿 1918 G-291 万年筆・鉛筆書き 13.5x19.5cm 「南湖院食堂の歌 腹下す者多ければ 喜ぶ者は物品課 お粥に梅干塩と味噌 体重減るのも無理はない 相模灘 浪路の末の雲はれて 伊豆の山辺に虹立ちにけり」 鉛筆書きは蘇峰の戦後の和歌か? 蘇峰草稿1-64
【自筆】書簡控え「京城日報」関係 草稿・原稿 毛筆書き 18.5x111cm 「過日児玉秘書官より御来電 小生を社長及主筆となし一切御委任 小生御引受申上決して御迷惑を 弊社員中より適当の一人差出 愚考には有力且つ有動なる新聞を御作ならんとならは小生其の責任者となる方極めて簡便 固より小生恒に京城にある能はさるも時々来往致し社説等は東京より寄送しても宜布かと 小生留守中の仕事には適当なる代表者を差出度き」 寺内正毅宛か(三一書房掲載Ⅲ-1) 蘇峰草稿1-65
【自筆】進講草稿「維新史考察の前提」(昭和2年5月22日) 草稿・原稿 1927 万年筆書き 20x28.5cmx11枚(和綴) 「於山王草堂 臣菅原正敬」 蘇峰草稿1-66
【自筆】漢詩草稿「雲山相対一床書」(昭和20年10月) 草稿・原稿 1945 毛筆書き 20x84cm 「以和為貴 以上 伊藤月庵和尚」 蘇峰草稿1-
【自筆】講演草稿「鎌倉講演(国民教育奨励会講話)」(昭和3年3月30日) 草稿・原稿 1928 毛筆書き 16x17.5cmx30枚(蘇峰学人用箋使用) 「歴史を見るには二個の鍵か必要 第一は平等鍵 第二は差別鍵」 蘇峰草稿1-67
【自筆】講演草稿「米沢講演 謙信公と鷹山公」(昭和3年5月7日) 草稿・原稿 1928 毛筆書き 16x17.5cmx23枚(蘇峰学人用箋使用) 「米沢に於て謙信公及鷹山公を語るは本末転倒の看かある」「武将7名(毛利元就~徳川家康)の生没年表」同封 蘇峰草稿1-68
【自筆】講演草稿「大久保甲東先生遭厄五十年期(清水谷にて)」(昭和3年5月14日) 草稿・原稿 1928 毛筆書き 16x17.5cmx10枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿1-69
【自筆】講演草稿「蘆花記念碑落成式(於香山)」(昭和3年5月) 草稿・原稿 1928 毛筆書き 19.5x43.5cm 蘇峰草稿1-70
【自筆】講演草稿「橋本先生(越前と予、横井小楠、春岳公、吉田東篁、橋本先生)」(昭和3年10月7日) 草稿・原稿 1928 毛筆書き 16x17.5cmx30枚(蘇峰学人用箋使用) 「本郷仏教青年会館に於て」「国の価値は其の国家の産出したる優秀の人物によりて定る」「藤田東湖、吉田松陰」の名も 「景岳書簡(印刷物・赤傍線)」同封 蘇峰草稿1-71
【自筆】序文草稿「竹田序文」(昭和3年12月7日) 草稿・原稿 1928 毛筆書き 18.5x320cm 「高本慶蔵、山陽」の名も 蘇峰草稿1-72
【口述筆記】要書「国民新聞愛読者各位(国民新聞引退声明文)」(昭和4年1月5日) 草稿・原稿 1929 万年筆書き 16x17.5cmx4枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿1-73
【口述筆記】手稿「予はフリー・プレス即ち新聞道の為に最早や決心すべき時期に達たと考へる」理由書(昭和4年1月8日) 草稿・原稿 1929 万年筆書き 16x17.5cmx95枚(蘇峰学人用箋使用) 「大久保甲東記事打切り問題、夕刊社説問題、歴史連載問題、俸給問題」「昭和4年1月8日午後1時より3時の間 国民新聞社会議室に於て 蘇峰学人」 蘇峰草稿1-74
【口述筆記】手稿「河西副社長と談話の要領」(昭和4年1月10日) 草稿・原稿 1929 万年筆書き 16x17.5cmx37枚(蘇峰学人用箋使用) 「即ち友人たる貴下によって、予が切腹を介錯して貰へば、先づ本望」「団琢磨、清浦伯、牧野伯、石川武美、桂公」の名も 蘇峰草稿1-75
【口述筆記】手稿「堀内良平氏山王草堂を来訪す」(昭和4年1月11日) 草稿・原稿 1929 万年筆書き 16x17.5cmx20枚(蘇峰学人用箋使用) 「実は大正15年4月以来考へに考へぬいて此に至った」「皇室中心主義の為に尽くすの途は今後更に考慮する処があって、残生を無用には送らぬ積りである」「謂はば予と根津氏と責任を分担する外はあるまい」 蘇峰草稿1-76
【口述筆記】手稿「進退の挨拶」(昭和4年1月11日) 草稿・原稿 1929 万年筆書き 16x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「予が本社を去る理由は、予としては到底本社の現状にては、社長の任務を尽す事が出来ないからである」 蘇峰草稿1-77
【筆耕】経緯書「徳富氏は昭和3年12月27日副社長にして国民新聞社の社務を総覧する河西豊太郎氏に向て、非公式に退社の意を漏らし・・」(昭和4年) 草稿・原稿 1929 毛筆書き 24.5x32.5cm(成簣堂文庫原稿用紙使用) 蘇峰草稿1-77
【口述筆記】手稿「一月十六日の記」(昭和4年1月16日) 草稿・原稿 1929 万年筆書き 16x17.5cmx53枚(蘇峰学人用箋使用) 「一月十六日は予にとっては重大の日である。何となれば、此日は予が退社の声明書発表の日であるからだ。予は別に記したる通り、此日の夕刊第一版より掲ぐる事とした。」「根津氏は居丈高になり『二百幾十万の金をみすみす消費している。その後始末を考へずに行かれるとは何事ぞ』と云ふが如き態度にて、予に喰って掛ったから、予は余りの彼の不躾に一喝を与へ、『左様のお話は御免を蒙る』とて、強って去らんとした」「昭和4年1月19日追記。於民友社」 蘇峰草稿1-78
【自筆】手稿「万葉集跋文」(昭和4年7月12日) 草稿・原稿 1929 毛筆書き 18.5x150cm 「是書海内奇藉也」「頼山陽、佐佐木信綱」の名も 蘇峰草稿1-79