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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【口述筆記】原稿「感想一則・大阪金光教三宅歳雄氏に送る」(昭和30年12月15日) 草稿・原稿 1955 毛筆書き 18.5xcm 蘇峰草稿5-574
【口述筆記】原稿「成島柳北と熱海」(昭和27年11月24日) 草稿・原稿 1952 鉛筆書き 19.5x26cmx2枚 「熱海市役所よりの依頼」 蘇峰草稿4-511
【口述筆記】原稿「政治の飢饉」 草稿・原稿 鉛筆書き 13.5x19.5cmx25枚 「即今の我国現状を熟察するに、全く政治の飢饉である。」「我等の云ふ政治は、国家経綸の活道である。」 蘇峰草稿6-678
【口述筆記】原稿「新年に際して醒覚すべきは皇恩と国恩である(実業之日本社)」(昭和12年12月1日) 草稿・原稿 1937 万年筆書き 15.5x18cmx28枚(蘇峰学人用箋使用)「実業之日本社・増田義彦より民友社・八重樫宛封筒」  蘇峰草稿2-230
【口述筆記】原稿「新憲法に関する意見」(昭和28年3月以降) 草稿・原稿 毛筆書き 15x17.5cmx26枚(蘇峰学人用箋使用) 「それは今日の所謂マッカーサー憲法てあります。此の憲法は日本を永久に弱体化する憲法てありまして、此の憲法の出来る時分は、米国もソ連と提携し、ソ連は何時迄も米国に付いて来るものと考へて居る時代に出来上ったものてあります。」「然し今日の世の中に、兵力無くして平和か維持せらるると云ふことは絶対不可能てあります。私は二回も新聞社の襲撃を受けました。其時に警察力か如何に微弱てあるかを確かめ得ました。」「国家は自衛の権利かあるから、第九条の存在に頓着なく、自衛隊は出来ても構わぬと、吉田前首相の横車てあって、第九条の明文通りにすれは、絶対不可能てあります。」 蘇峰草稿6-631
【口述筆記】原稿「新聞管見」(昭和27年7月25日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x265cm 「七月二十八日上京 毎日新聞社訪問の折幹部各位に認めさる可きものなり」「新聞第三の目的は指導てある。此の方面は現在の新聞は明治中期の新聞に比して寧ろ後退したるにあらさるやの疑なき能はす」 蘇峰草稿4-500
【口述筆記】原稿「日本の行方」(昭和23年3月19日) 草稿・原稿 1948 万年筆書き 15x16.5cmx14枚 「伊豆山人」 蘇峰草稿4-439
【口述筆記】原稿「日本皇室と国民」(昭和27年) 草稿・原稿 1952 万年筆書き 17.5x23cmx4枚 「熊本行の為用意せしもの」「塩崎紹介文同封・私は満州事変支那事変以来殊に太平洋戦争から終戦後現在に至るまで時を先生秘書として相勤めましたもので特に太平洋戦争中より終戦後にかけては先生と同じ屋根の下に生活し云はば先生の起居動作一切を承知して居ります。・・」 蘇峰草稿4-474
【口述筆記】原稿「日本青年諸君に告く」(昭和20年9月9日) 草稿・原稿 1945 毛筆書き 22.5x30cmx2枚 「自筆の草稿あり」 蘇峰草稿3-389
【口述筆記】原稿「日比野寛翁」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx2枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-695
【口述筆記】原稿「日露戦争時代の米国公使館1~4」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx9,9,10,10枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-664
【口述筆記】原稿「時局覚書一則」(昭和27年) 草稿・原稿 1952 万年筆書き 17.5x23cmx5枚 「熊本行の為用意せしもの」 蘇峰草稿4-474
【口述筆記】原稿「晋山頌辞」(昭和27年3月26日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 20x165cm 「青龍寺元寿和尚」「青龍寺は岳麓の禅林にして東海名藍の一なり」「蘇峰居士」 蘇峰草稿4-489
【口述筆記】原稿「晩晴草堂小話一・老人の幸運(蘇峰先生最後の口述原稿のひとつ)」(昭和32年7月15日) 草稿・原稿 1957 万年筆書き 15x17.5cmx6枚(蘇峰学人用箋使用) 「昭和三十二年七月十五日より四回再稿筆記す 先生最後の原稿」「三代人物史論を書きかけて、漸く佳境に入らんとする際、病気の為に中絶し申訳ありません。漸く健康も快復し、前稿を続けたいと思ひますか、九十五歳の今日、長いものを書く事は力及はす、今度は品を替えなるへく、手短なものを書いて見たいと思ひます。」 蘇峰草稿5-618
【口述筆記】原稿「木部光雄と伊吹武子結婚式を取り行ふに付其の誓ひ」(昭和30年12月20日) 草稿・原稿 1955 鉛筆書き 20x25.5cmx2枚 「晩晴草堂に於て」「原文静峰作」 蘇峰草稿5-575
【口述筆記】原稿「本書奉納縁起は別刷所託に詳かなり」(昭和28年11月28日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 19.5x55cm 「高祖先生の精霊此中に寓するものとして永久に宝重護持したれんことを」「校友徳富猪一郎 校友塩崎彦市謹書」 蘇峰草稿4-517
【口述筆記】原稿「札幌神宮趣意書」(昭和30年11月30日) 草稿・原稿 1955 鉛筆書き 19.5x25.5cmx2枚 「今茲に北海道神宮奉賛会を設立するに際しその趣意の大綱を・・」 蘇峰草稿5-570
【口述筆記】原稿「村田清風其他」(昭和29年4月13日) 草稿・原稿 1954 万年筆書き 13.5x19.5cmx14枚 「関原以前迄は徳川と毛利とは、互角とは云はんが、雁行の位置をしめていた」 蘇峰草稿5-540
【口述筆記】原稿「東船山翁喜寿祝賀」(昭和28年5月8日) 草稿・原稿 1953 万年筆書き 18x23cmx3枚 「右は当日熊本市東船山翁に祝贈せしもの」「蘇叟九十一」 蘇峰草稿4-513
【口述筆記】原稿「松尾中佐は我か東肥の最近に産したる好男児也」(昭和19年) 草稿・原稿 1944 鉛筆書き 12x18cmx3枚 蘇峰草稿3-358
【口述筆記】原稿「松尾敬宇中佐」(昭和19年5月22日) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 17.5x25cmx4枚(徳富秘書課用箋使用) 「松尾敬宇中佐は、我か東火の産したる軍神の一。」「静峰記」 蘇峰草稿3-321
【口述筆記】原稿「林田市長宛挨拶状」(昭和29年12月24日) 草稿・原稿 1954 毛筆書き 18.5x155cm 「老先生熊本名誉市民拝受」「下書き同封」 蘇峰草稿5-559
【口述筆記】原稿「桜井熊本県知事より依頼の熊本大学五周年記念祝典の祝辞」(昭和29年10月19日) 草稿・原稿 1954 万年筆書き 15x17cmx5枚(蘇峰学人用箋使・下書きあり) 「11月1日当日」 蘇峰草稿5-553
【口述筆記】原稿「梅松論」(昭和7年) 草稿・原稿 1932 万年筆書き 16x17.5cmx4枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿1-114
【口述筆記】原稿「椿一郎氏に贈られし山村青年の心得」(昭和22年11月27日) 草稿・原稿 1947 毛筆書き 18.5x125cm 蘇峰草稿4-432
【口述筆記】原稿「正力松太郎先生高岡に立つ」(昭和30年2月) 草稿・原稿 1955 万年筆書き 15x17.5cmx5枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿5-562
【口述筆記】原稿「歳暮に添へし書文」(昭和31年11月29日) 草稿・原稿 1956 鉛筆書き 18x23cm 「原文」 蘇峰草稿5-607
【口述筆記】原稿「水戸義公銅像除幕式挨拶」(昭和30年7月11日) 草稿・原稿 1955 毛筆書き 25x840cm 「本日の当所に於ける水戸義公銅像除幕式に際し一言を申述ふることは老生の欣惶併せて至るところてあります 義公と楠公とは其の中間約三百五十年の隔りはありますか其の間に自から血脈か繋って居るかの様に思はれます。」 蘇峰草稿5-585
【口述筆記】原稿「油断大敵」(昭和12年7月以降) 草稿・原稿 1937 万年筆書き 15.5x18cmx18枚(蘇峰学人用箋使用) 「昭和12年7月7日、盧溝橋事件を発端として・・」  蘇峰草稿2-231
【口述筆記】原稿「津奈木・徳富家に就て」(昭和29年5月20日) 草稿・原稿 1954 万年筆書き 15x17.5cmx10枚(蘇峰学人用箋使用・同内容の別紙あり) 「老生の家は本来水俣でありまするが、祖先以来津奈木とは、水俣に変らぬ迄に、深く且久しき繋を持って居ります」 蘇峰草稿5-545