資料一覧 14733 件
資料名 | 種別 | 年代 | 画像 | 備考 |
---|---|---|---|---|
【口述筆記】原稿「坂本・中岡最期」(昭和29年6月18日) | 草稿・原稿 | 1954 | 万年筆書き 17x23.5cmx10枚(下書きあり) 「慶応三年十一月十五日は維新大改革の前触として実に思ひがけ無き不詳事が出来した。其れは云ふ迄も無く坂本龍馬、中岡慎太郎二人が同年、同月、同日、同所に於て幕府側の刺客に襲はれ、共に倒れたる日である。」 蘇峰草稿5-548 | |
【自筆】覚え書き(備忘録)「以上十名」(昭和29年7月11日) | 草稿・原稿 | 1954 | 毛筆書き 16.5x26cm 「柳川春三、福地源一郎、福沢諭吉、矢野文雄、村山龍平、本山彦一、島田三郎、陸実、黒岩周六、光永星郎 以上十名 徳富猪一郎」 蘇峰草稿5-549 | |
【謄写】書簡控え「久我貞三郎宛」(昭和29年9月20日) | その他 | 1954 | 万年筆書き 15x17.5cmx6枚(蘇峰用箋使用・下書きあり) 「昨日は存じ懸なく御光臨被下、其の折は又淇水文庫の一件に付き種々従来の成行を申上けましたか逐一御聞き届け被下候様見受誠に快心の至りてありました。」「私は相成る可くは、蘆花弟記念を該文庫に残し度、それか当人の為にも又水俣の為にも、且は同族の私共のためにも・・」 蘇峰草稿5-550 | |
【口述筆記】原稿「徳富静子伝序文」(昭和29年9月28日) | 草稿・原稿 | 1954 | 万年筆書き 19.5x25.5cmx5枚 「平常院と申しますのは亡妻静子の戒名てあります。本年は当人の七周忌てありますから、何そ当人の為に書き残して置きたいと社中の方に申し渡して高橋源一郎、塩崎彦市両君の手ていよいよこの一冊か出来上りました。高橋君は平常院の青山大森時代から塩崎君は大森時代から、熱海時代にかけては最も交渉多く・・当人の地下の霊も定めて感謝するてあろうと思ひます」 蘇峰草稿5-551 | |
【謄写】書簡控え「相馬黒光女史宛」(昭和29年10月18日) | その他 | 1954 | 万年筆書き 15x17cmx5枚(蘇峰学人用箋使用) 「中村屋主人夫人・相馬黒光女史に対する書簡の返事なり」「毎々朝日新聞にて御意見拝聴何時も敬服して居ります。愛蔵先生の御昇天定めて淋しく御感しになることと思ひますか、然し御令息始め皆様の御健在、中村屋も益々御繁盛て実に御同慶と存します。」 蘇峰草稿5-552 | |
【口述筆記】原稿「桜井熊本県知事より依頼の熊本大学五周年記念祝典の祝辞」(昭和29年10月19日) | 草稿・原稿 | 1954 | 万年筆書き 15x17cmx5枚(蘇峰学人用箋使・下書きあり) 「11月1日当日」 蘇峰草稿5-553 | |
【口述筆記】原稿「国士舘再成記念祝詞」(昭和29年10月23日) | 草稿・原稿 | 1954 | 鉛筆書き 19.5x25.5cmx3枚 蘇峰草稿5-554 | |
【口述筆記】覚え書き(備忘録)「蘇峰先生が山麓社長堀内一雄氏に語られし双宜荘並双宜園 新宜園を同志社に贈るに付ての一部筆記」(昭和29年10月26日) | その他 | 1954 | 鉛筆書き 19.5x25.5cmx4枚 「社長の他、小林、星野両氏、老先生、塩崎 於山中皆宜荘」「ここには執着かあって、歴史も主用な歴史は大概ここて書いて二十年も九月十四日迄はここて書いていた・・ここから牢屋え行きたいと思っていた処一向その沙汰がないから十一日熱海に帰へったはけてあります」「私も少し志を立てて自分の母校の同志社を自分の子の様にしてここを継かせたい」 蘇峰草稿5-555 | |
【自筆】講演草稿「須走富士学校に於ける講演原稿」(昭和29年10月27日) | 草稿・原稿 | 1954 | 毛筆書き 18.5x350cm 「第一諸君に敬意を表す漫談的に一二件」「日本の現状敗戦病・・但た足かけ十年既に甚たし」「山中湖畔皆宜荘に於て」「講演写真2枚同封」 蘇峰草稿5-556 | |
【自筆】原稿「日本談義掲載原稿・国史に返れ」(昭和29年11月23日) | 草稿・原稿 | 1954 | 毛筆書き 18.5x305cm 「領土以上の損失は国史を喪失したること」 蘇峰草稿5-557 | |
【口述筆記】原稿「大阪三宅歳雄・金光教関係」(昭和29年12月17日) | 草稿・原稿 | 1954 | 毛筆書き 19.5x25.5cm 「・・世界にも偉大なる新聞記者は少なくないが、七十五年の記者としてのレコードを持つ者は余りに多くはないかと思ふ。」「第一新聞は報道の任務を持つものてある 第二説明の義務を持つものてある 第三指導の義務を持つものてある」 蘇峰草稿5-558 | |
【口述筆記】原稿「林田市長宛挨拶状」(昭和29年12月24日) | 草稿・原稿 | 1954 | 毛筆書き 18.5x155cm 「老先生熊本名誉市民拝受」「下書き同封」 蘇峰草稿5-559 | |
【自筆】原稿「蘇翁と長寿」(昭和29年12月7日) | 草稿・原稿 | 1954 | 鉛筆書き 19.5x25.5cmx2枚 「老生は別に長生せんとの考へもなく其の為め長生の方法等研究したる事は一切ありません」「父は枕に付くと同時にすてに大いなるいびきをかいた様てすか私は其の真似は出来ませんか枕に付けば十分ないし二十分内には安眠か出来ます・・これか何よりの私にとっては幸てあります」 蘇峰草稿5-560 | |
【自筆】原稿「新年賀状」(昭和29年1月1日) | 草稿・原稿 | 1954 | 毛筆書き 19x24cm(縦書き横書きで2枚) 「貴家の御清福を祈る 熱海市伊豆山 徳富猪一郎」 蘇峰草稿5-561 | |
勝又誠 | 名刺 | 1954 | 2枚 熱海駅助役 「廿九.一.二」と赤鉛筆の書き込みあり 書簡なし | |
【自筆】原稿「立野信美君は憂国の士てある」(昭和29年9月30日) | 草稿・原稿 | 1954 | 鉛筆書き 13x18cm(「あけぼの」原稿用紙使用) 蘇峰草稿6-658 | |
後藤田純生 | 名刺 | 1954 | 2枚 日本放送協会社会部社会課 「二九.七.六.来堂」「二九.九.十二.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 書簡なし | |
【自筆】原稿「中井村梵鐘」(昭和29年) | 草稿・原稿 | 1954 | 毛筆書き 18.5x27.5cm、メモ6枚 「小田原市小船白髭神社か?」 蘇峰草稿6-668 | |
斉藤龍太郎 | 名刺 | 1954 | 2枚 文芸春秋社 「廿九.二.十一」と赤鉛筆で書き込みあり 書簡なし | |
佐久間佐一郎 | 名刺 | 1954 | 1枚 福島市顧問 福島日米会副会長 「二九.八.六.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 書簡なし | |
白杉政徳 | 名刺 | 1954 | 2枚 日本毛織直売所 ニッポンノービリティ 白木屋計画部催物係 「二九.一.七.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 書簡なし | |
白井為雄 | 名刺 | 1954 | 1枚 福岡市釜屋町 「二九.五.五.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 書簡なし | |
鈴木善一 | 名刺 | 1954 | 5枚 社会福祉法人マハヤナ学園常務理事 学校法人大乗淑徳学園常務理事 大日本生産党中央執行委員長 霞ヶ浦道場長 「二九.八.二.来堂」「二九.三.三.来堂」「二九.五.二九.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 1枚は表面に「熊本市大江町九品寺 紫垣隆」と書き込み、裏面に「嘉代善次」の名前住所が書かれ、蘇峰の葬儀「32.11.8」の日付スタンプがある 実物は「葬儀」にあり | |
鈴木忠次郎 | 名刺 | 1954 | 1枚 毎日新聞社印刷局 「二九.九.二三.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 書簡なし | |
田中鶴三 | 名刺 | 1954 | 1枚 毎日新聞社東京営業所用紙課長 毎日新聞社資材課長兼営業担当役員付 「二九.九.二四.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 蘇峰の葬儀「32.11.8」の日付スタンプあり 実物は「葬儀」にあり | |
中稲武彦 | 名刺 | 1954 | 2枚 熱海友心医院医師 「廿九.九.三十日.来堂 ヨミウリ花見氏紹介」と書き込みあり 書簡なし | |
永村日出男 | 名刺 | 1954 | 3枚 富士山麓電気鉄道株式会社専務取締役 「堀内社長にも座右銘を御願い 靖国之宮」「本書持参の通は中島司による当社員高岡書記に先生の御墨書御手渡の程御願申上候 29.3.30」と書き込みあり 書簡なし | |
長尾晃之助 | 名刺 | 1954 | 1枚 熱海商業美術振興会 不二茶屋 「二九.五.二七.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 書簡なし | |
野崎敏二 | 名刺 | 1954 | 1枚 株式会社野崎重兵衛商店 静岡県呉服町 裏面に「廿九年.六月.二十五日 来堂」と書き込みあり 書簡なし | |
広田定一 | 名刺 | 1954 | 3枚 株式会社洋菓子のヒロタ取締役社長 「二九.四.二.来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 書簡なし |