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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
蘇峰関係資料「寄付金に対する同志社からの礼状」 その他 1952 感謝状 墨書 昭和27年の帰郷の途上同志社に立寄り、100万円を寄付 昭和27年5月19日 同志社総長・大塚節治 上包みに朱墨で「同志社 水俣 寄付金受取証」と書き込みあり 蘇関資3-367
蘇峰関係資料「徳富氏西迫墓之記」 その他 1952 便箋12枚 ペン書き 昭和27年6月24日 徳富家と津奈木との関係を記したもの 保存用白封筒に赤鉛筆で「津奈木□大切保存」と書き込みあり 蘇関資3-368
蘇峰関係資料「中央美術協会下山儀三郎氏との件」 その他 1952 塩崎彦市宛稲垣直文書簡(昭和27年7月14日付) 封筒表に赤鉛筆で「下山氏の件 保存 27.7.16」と書き込み、封筒裏に「昭和27年8月1日 稲垣氏本人来堂渡スミ 午後1時半渡ス 右為念記ス 保存」と書き込みあり 他に徳富蘇峰に宛てた下山イチヨの証書あり 蘇峰が預かっていた磯田長秋画 絹本赤穂浪士(64枚)を稲垣直文氏へ譲渡 蘇関資3-369
蘇峰関係資料「徳富蘇峰・宇垣一成・小笠原長生先生 鼎談」 その他 1952 「週刊カメラ 第44号」(昭和27年8月4日発行)に掲載 昭和27年2月28日 於・伊豆長岡古奈温泉の白石館 丹沢芳一撮影による写真6枚あり 蘇関資3-370
蘇峰関係資料「蘇峰翁清談 中山優」 その他 1952 雑誌「相互経済」(昭和27年10月1日発行)に掲載 昭和27年8月4日 熱海晩晴草堂で中山優が取材 蘇峰翁の人物縦横談 表紙に赤鉛筆で「保存 静峯生」と書き込みあり 蘇関資3-371
蘇峰関係資料「水俣御一行訪問 芳名帳・名刺」 その他 1952 ・芳名帳 墨書「故山来□誌 昭和二十七年十月廿二日 蘇叟九十」 昭和27年10月22日に晩晴草堂を訪れた水俣の一行23名の署名あり
・名刺17枚 名刺の裏側に蘇峰に揮毫してほしい文言が書かれている 保存用白封筒に「昭和二十七年十月二十二日晩着 水俣御一行訪問各位名刺在中」と墨書あり 蘇関資3-372
蘇峰関係資料「『勝利者の悲哀』の印税」 その他 1952 大日本雄弁会講談社経理部 「勝利者の悲哀」の印税 昭和27年11月6日と11月21日支払い 領収書もあり 整理封筒に「昭和廿七年十一月七日 勝利者ノ悲哀印税第一回分 第二回分 窪田氏持参」と墨書あり 蘇関資3-373
蘇峰関係資料「『勝利者の悲哀』『読書九十年』出版契約書」 その他 1952 契約書2通 徳富猪一郎と大日本雄弁会講談社 取締役社長・野間省一 昭和27年8月27日 蘇関資3-374
蘇峰関係資料「塩崎先生御帰郷中 日誌 晩晴草堂」 その他 1952 わら半紙3枚にペン書き 塩崎彦市が愛媛県西条市に帰省中の、昭和27年9月11日より15日の5日間の晩晴草堂に於ける来客、出来事などが記されている 蘇関資3-375
蘇峰関係資料「『勝利者の悲哀』『読書九十年』の推奨依頼書」 その他 1952 リーフレット 18×50cm 大日本雄弁会講談社が「勝利者の悲哀」と「読書九十年」の宣伝のため製作したもの 保存用白封筒に「勝利者の悲哀依頼書在中 講談社ヨリ各方面二郵送セラレシモノ」と墨書 「廿七、十月初一、保存」と赤鉛筆による書き込みもあり 蘇関資3-376
蘇峰関係資料「『勝利者の悲哀』出版記念展覧会の件」 その他 1952 大日本雄弁会講談社用箋2枚 ペン書き 会期11月14日~17日 写真、著書、揮毫、その他など展示に関する内容が書かれている 鉛筆で蘇峰の一日の日課(食事、面会、昼寝など)が書き込まれている 蘇関資3-377
蘇峰関係資料「蘇峰先生の御著書(冠木文庫所蔵目録)」 その他 1952 ペン書き 3枚 明治20年から昭和27年までの蘇峰著作の所蔵目録 蘇関資3-379
蘇峰関係資料「徳富静子刀自を偲びて」 その他 1952 小冊子 18.5×13cm 12頁 2部あり 髪塚世話人会発行 昭和23年12月7日の「中外日報」に掲載された「蘇翁夫人 静子刀自」、昭和23年11月7日午後口述の「徳富静子夫人行状」、「平常院小祥忌 頑蘇老人」収録 図書にも登録あり 蘇関資3-380
蘇峰関係資料「蘇峰翁展覧会出品目録」 その他 1952 大日本雄弁会講談社用箋9枚に印字 日時 昭和27年12月7日~11日 場所 熊本市銀丁百貨店 主催 講談社 熊本日日新聞 整理用白封筒に「昭和廿七年十二月七日~十一にち 熊本銀丁百貨店出品目録」と墨書あり 蘇関資3-381
蘇峰関係資料「蘇峰覚帳(1)(2)」 その他 1952 昭和11年と14年の出納簿(記入あり)使用 昭和27年覚帳と昭和29年覚帳あり 漢詩や和歌の草稿やメモ書きなどあり 昭和29年覚帳には森孝雄からの森次太郎逝去通知の葉書(蘇峰宛書簡として登録済)が貼り付けてある 蘇関資3-382
蘇峰関係資料「発明貿易新聞(月刊新聞)」 その他 1952 創刊号 "The Invention and Trade News" 代表・奥山欽造(蘇峰宛書簡あり) 「発明者は国宝ナリ 貿易ハ富国ノ源ナリ 蘇峰老人」 蘇関資3-383
蘇峰関係資料「昭和27年の新聞切り抜き」 新聞切り抜き 1952 新聞切り抜き
➀「西海時論」(昭和27年5月1日) 「蘇峰翁を迎える新緑の肥山肥水 歓迎墨跡展も開かれる」「果たして百敗院か 後藤是山」
②「西日本新聞」(昭和27年5月3日) 「故郷と生きた告別式を 徳富蘇峰翁 元気に福岡入り」
③「毎日新聞」(昭和27年5月3日) 「蘇峰翁きょう熊本着)
④「夕刊熊本新聞」(昭和27年5月4日) 「蘇峰翁なかなか上機嫌」
⑤「熊本日日新聞」(昭和27年5月4日) 「国民史も完成したよ 雨の駅頭に綻ぶ笑顔」「直ちに墨跡展へ」
⓺「毎日新聞」(昭和27年5月4日) 「九十とは見えぬ元気 蘇峰翁14年ぶりに帰熊」
⑦「夕刊熊本新聞」(昭和27年5月5日) 「腕白小僧の昔に還る 百梅園の蘇峰翁 柿の木なでて感無量」「熊本水俣に10万円寄贈」
⑧「熊本日日新聞」(昭和27年5月5日) 「ニコニコ九十の顔 徳富さん、知事、市長らと語る」
⑨「毎日新聞」(昭和27年5月6日) 「熊本水俣市へ10万円ずつ 帰熊の蘇峰翁が寄附」「今日熊本市民歓迎会へ」
⑩「毎日新聞 熊本版」(昭和27年5月7日) 「忘れまい”熊本気質” 蘇峰翁学校も歴訪し訓話」本山彦一記念碑
⑪「毎日新聞」(昭和27年5月9日) 「蘇峰翁、郷里水俣入り”ようこそ”と市民歓迎 阿蘇でも歓迎準備」
⑫「毎日新聞 西部版」(昭和27年5月10日) 「墓参りや座談会へ 蘇峰翁きょうは水俣の歓迎会」
⑬「夕刊熊本」(昭和27年5月12日) 「万感胸に水俣を去る 蘇峰翁きょう熊本へ」
⑭「夕刊熊本」(昭和27年5月13日) 「九十のシワも晴れ晴れ 名づけ親”大観峯”に登る」
⑮「毎日新聞 熊本版」(昭和27年5月13日) 「蘇峰翁再び熊本へ きょう阿蘇大観峯を訪う」
⑯「熊本日日新聞」(昭和27年5月14日) 「阿蘇は上天気 蘇峰翁大観峯に立つ」
⑰「朝日新聞 熊本版」(昭和27年5月14日) 「思い出の大観峯へ 蘇峰翁」
⑱「夕刊熊本」(昭和27年5月16日) 「蘇峰翁別れの言葉 白川公園市民大会に臨む」
⑲「熊本日日新聞」(昭和27年5月16日) 「墓前に安達(謙蔵)翁を偲ぶ 蘇峰翁、きょう福岡へ」
⑳「西日本新聞 市内版」(昭和27年5月17日) 「蘇峰翁の在福日程」
㉑「西日本新聞」(昭和27年5月17日) 「”思い残すことはない”蘇峰翁大歓迎陣に挨拶」2部あり
㉒「熊本日日新聞」(昭和27年5月17日) 「さようなら蘇峰翁 きのう一万人のお別れ会」
㉓「西日本新聞」(昭和27年5月18日) 「本社を来訪 懐旧談に花 徳富蘇峰翁」
㉔「京都新聞」(昭和27年5月21日) 「墓石なで懐しげ 蘇峰翁、恩師新島襄の墓参り」
㉕「毎日新聞 京都版」(昭和27年5月21日) 「カゴで行くのは蘇峰翁」2部あり
㉖「京都新聞 夕刊」(昭和27年5月22日) 「”真理は常に新しい” 蘇峰翁、同志社で講演」
㉗「中外日報」(昭和27年5月22日) 「瑞峰荘新緑清談 蘇峰翁を囲むひと時」真渓涙骨、佐伯理一郎、蘇峰
㉘「毎日京都版」(昭和27年5月22日) 「トツトツ語る老先輩 蘇峰翁きのう同大で講演 国民は政府のスネ噛り」
㉙「熊本日日新聞」(昭和27年5月3日) 「イスのカゴで生家訪問 蘇峰さん、雨の日の強行軍」
㉚「読売新聞 静岡版」(昭和27年10月31日) 「思出の地に墓所 蘇峰翁青龍寺内に選定」
㉛「熊本日日新聞」(昭和27年9月25日) 「徳富蘇峰著『勝利者の悲哀』を読む 伊豆富人」
㉜「熊本日日新聞」(昭和27年9月25日) 「今年の本県文化功労者決る 蘇峰翁と故人五氏 独立の年でえた二人」 矢島楫子、徳富蘇峰ら6人
蘇関資3-384
蘇峰関係資料「『勝利者の悲哀』の二色刷広告」 その他 1952 38×107cm大の広告ポスター 「愈々発売! 憂国の大文章 徳富蘇峰著 勝利者の悲哀 世界情勢の批判と祖国日本への悲願 本書は筆者がマッカーサー元帥に上書せんとし追放の身を遂に果し得ず今日漸く公刊の秋を得た問題の書 講談社刊・百円」とある 蘇関資3‐445
蘇峰関係資料「渡辺幾治郎・徳富蘇峰・塩崎彦市座談会」 その他 1952 早稲田大学社会科学研究所用箋35枚に座談会の内容がぺん書きされている 明治14年の政変・大隈重信という人物について 蘇峰が89~90歳の時の座談会と思われる 蘇関資3‐449
蘇峰関係資料「新聞切り抜き(昭和27、28年)」 新聞切り抜き 1952 昭和27、28年の新聞切り抜き 赤鉛筆で日付、新聞名の書き込みあり
・「ソヴィエトの立役者 マレンコフ」(昭和27年10月8日)
・「自然改造をめざす スターリン・プラン ボルガ・ドン運河の完成」(静岡新聞/昭和27年8月26日)
・「歴史への関心の高まり とくに日本史の概説書を中心に 松島栄一」(朝日新聞/昭和27年6月28日)
・「厳しい米の反共意識 ラティモア教授の海外旅行禁止」(毎日新聞/昭和27年6月25日)
・「朝鮮を蔽う荒廃と破壊 大学も仮小屋で 街に氾らんする洋ガルボ」(静岡新聞/昭和27年6月28日)
・「社説 炭素一四の話」
・「時言 郷土建設運動を提唱する」
・「今日の問題 税金のゆくえ」(朝日新聞夕刊/昭和27年6月28日)
・「今日の問題 ヤルタ密約の廃棄」
・「平均は1万2千円余 25年より23%増 国税庁の26年度給料調べ」(朝日新聞/昭和27年7月2日)
・「英水兵強盗事件をどう見る 日本を圧迫した実例 ビスマルクはいった「国際的に横暴な英人」木村毅氏談」(東京日日新聞/昭和27年8月13日)
・「英国経済の悩み 都留重人」(朝日新聞/昭和27年10月8日)
・「”遠慮”が解けて活況 左翼出版界の現状」(朝日新聞/昭和27年9月19日)
・「蛙のこえ(378) 兵器 大宅壮一」(東京日日新聞/昭和27年9月15日) 湯川秀樹博士 優れた科学者は大切な兵器
・「印紙変造団総検挙へ 百億の不当利益 逮捕すでに240名」(読売新聞/昭和27年10月4日)
・「問題の英水兵二人と会う タバコが一番欲しい」(朝日新聞/昭和27年8月13日)
・「世界に拡がるアメリカ人 戦い、守り、技術を指導」(読売新聞/昭和27年10月15日)
・「東京だより」間宮海峡に堰堤
・「新日本地図 長崎 特需の街 佐世保」(サンデー毎日/昭和27年9月14日)
・「ヤルタ機構は崩れるか 日独などに希望」(昭和28年2月12日)
・「誰の罪 10億円の有毒米 知りながらも買付 ヤミ米よりも高い一升実に150円」(読売新聞/昭和28年2月16日)
蘇関資4-604
蘇峰収集資料「太平会宣言(草案第三)」 その他 1952 草案 昭和27年1月12日 収資267
蘇峰収集資料「われらの愛国心」 その他 1952 小冊子 30ページ 社団法人欧亜協会発行 時局シリーズよみもの版5 収資270
蘇峰収集資料「熊城 特別号」 その他 1952 B4サイズ用紙をホチキス止め 「肥後消息 入田慶一」 昭和27年9月 表紙に赤鉛筆で「十月十六日着 静峰生用」と書き込みあり 収資272
蘇峰収集資料「川合信水先生御講話筆記 町民精神指標」 その他 1952 小冊子 10ページ 宮崎県妻町にて 収資273
蘇峰収集資料「THE FUJIN TO NIPPON 婦人と日本 第18号」 印刷物 1952 雑誌 16ページ 主幹・久布白オチミ 昭和28年1月30日、ジャパン・ウィメン社発行 収資274
蘇峰収集資料「第15回オリンピック(ヘルシンキ)新聞切り抜き」 新聞切り抜き 1952 新聞切り抜き 大会の記録 塩崎房子作成 収資348 
飯野十造 名刺 1953 2枚 宗教法人静岡其枝基督教会牧師 世界連邦建設同盟静岡支部長 世界平和立国協力会"愛は明けゆく”発行所 友と成る会愛の家 「二八.一二.一五 来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 蘇峰の葬儀「32.11.8」の日付スタンプあり 実物は「葬儀」にあり
稲葉晃三 名刺 1953 1枚 富倉郵便局主任 長野県飯山局内 「廿八.十.廿四 来堂」と赤鉛筆で書き込みあり
太田雪村 名刺 1953 2枚 東京都豊島区西巣鴨 「廿八.七.五 来堂」と赤鉛筆の書き込みあり 裏面に「金□鎬 父 一葉 母」と鉛筆の書き込みあり 1枚は「金泰伸」の名刺 「雪村」と書き込みあり 蘇峰の葬儀「32.11.8」の日付スタンプ 実物は「葬儀」にあり
【口述筆記】メモ書き「東条勝子夫人来光」(昭和28年4月3日) その他 1953 毛筆書き 18.5xcm 「七光寿院御遺骨保全」「興亜観音七人の為に・・」「保存」 蘇峰草稿4-512