資料一覧 14871 件
資料名 | 種別 | 年代 | 画像 | 備考 |
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【口述筆記】原稿「無題(蘇峰先生最後の口述原稿のひとつ)」(昭和32年7月20日) | 草稿・原稿 | 1957 | 万年筆書き 15x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「支那人の句に、人生百に満たす、常に千載の憂を懐しとあり、・・」「日本人も、その吹けは飛ふような生活常態の中に於て、其の心の中にめいめいの火か燃えて居る。この一本のローソクか、云はは日本人の取柄てあろう。」 蘇峰草稿5-618 | |
【口述筆記】原稿「読売新聞投稿原稿」(昭和32年7月15日) | 草稿・原稿 | 1957 | 鉛筆書き 20x27.5cmx4枚 「蘇峰草稿5-618の下書き・第一回~第四回」 蘇峰草稿5-619 | |
【自筆】原稿「近此東京に開かんたるペンクラブの会合は・・」(昭和32年9月13日) | 草稿・原稿 | 1957 | 毛筆書き 20x135cm 蘇峰草稿5-620 | |
【自筆】原稿「故郷忘れ難し強て熊本弁の押売」(昭和32年9月30日) | 草稿・原稿 | 1957 | 毛筆書き 20x155cm 蘇峰草稿5-621 | |
【自筆】原稿「祝正力先生」(昭和32年) | 草稿・原稿 | 1957 | 毛筆書き 19.5x59cm 「蘇叟九十五」 蘇峰草稿5-623 | |
【塩崎筆】原稿「水俣市御挨拶」(昭和32年以後) | 草稿・原稿 | 万年筆書き 18x22.5cmx3枚 「蘇峰没後の挨拶」「只今故蘇峰翁の遺骨は故山水俣に着しました。蘇峰翁には日頃恋い慕ふて居りました祖先の地水俣に入り永久に祖父の地に□ります事は□かし本望てあり満足の事と存します。」 蘇峰草稿5-624 | ||
【塩崎筆】原稿「熊本市に於ける御挨拶」(昭和33年4月24日) | 草稿・原稿 | 1958 | 鉛筆書き 20x27cmx2枚 「33.4.20 原文初稿保存」 蘇峰草稿5-626 | |
【口述筆記】詩稿「双宜園寓目」(昭和19年) | 草稿・原稿 | 1944 | 万年筆書き 17.5x26cmx8枚(徳富秘書課用箋使用) 「甲申十二月初一偶感など」 蘇峰草稿6-629 | |
【口述筆記】詩稿「詠」(昭和25年) | 草稿・原稿 | 1950 | 万年筆書き 18x25cmx29枚(二つ折り) 「八十八自述十首」「愚かなる身にはあれども神は吾によき父母と師とを賜ひぬ」「よしあしは人に任せて五百年の後のさばきを待ちてあらむ吾は」 蘇峰草稿6-630 | |
【口述筆記】原稿「新憲法に関する意見」(昭和28年3月以降) | 草稿・原稿 | 毛筆書き 15x17.5cmx26枚(蘇峰学人用箋使用) 「それは今日の所謂マッカーサー憲法てあります。此の憲法は日本を永久に弱体化する憲法てありまして、此の憲法の出来る時分は、米国もソ連と提携し、ソ連は何時迄も米国に付いて来るものと考へて居る時代に出来上ったものてあります。」「然し今日の世の中に、兵力無くして平和か維持せらるると云ふことは絶対不可能てあります。私は二回も新聞社の襲撃を受けました。其時に警察力か如何に微弱てあるかを確かめ得ました。」「国家は自衛の権利かあるから、第九条の存在に頓着なく、自衛隊は出来ても構わぬと、吉田前首相の横車てあって、第九条の明文通りにすれは、絶対不可能てあります。」 蘇峰草稿6-631 | ||
【自筆】詩稿「雲山相対一床書」 | 草稿・原稿 | 毛筆書き 20x105cm巻紙と15x22.5cm(万年筆書き) 蘇峰草稿6-632 | ||
【口述筆記】原稿「各種草稿原稿控え類」 | 草稿・原稿 | 毛筆万年筆書き 「近世日本国民史の章立てメモあり30~38巻」 蘇峰草稿6-634 | ||
【口述筆記】原稿「H.G.ウェルス『歴史の毒』について」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 15.5x17.5cmx2枚(蘇峰学人用箋使用) 「・・又たこれ一種の唯物史観と見るの外ありませぬ。」 蘇峰草稿6-635 | ||
【口述筆記】「国史は伊弉諾尊、伊弉冊尊に始まる(国史眼巻之一)」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 15.5x17.5cmx3枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-636 | ||
【口述筆記】原稿「シーボルトの説」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 15.5x17.5cmx5枚(蘇峰学人用箋使用) 「予は既に、日本人の身体上の特質から、日本人は、亜細亜或は新大陸に於ける、他の国民と或族戚関係を有せる事を提示した。」 蘇峰草稿6-637 | ||
【口述筆記】原稿「天朝正学」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 15.5x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-638 | ||
【口述筆記】詩稿「詩草」 | 草稿・原稿 | 鉛筆書き 15x22.5cmx2枚 蘇峰草稿6-639 | ||
【自筆】原稿「我京都を愛す」 | 草稿・原稿 | G-71 毛筆書き 20x140cm 「予もせめて一片の骨を新島先生墓畔に埋め度」「大人は世界を以て墳墓とする」 蘇峰草稿6-640 | ||
【口述筆記】原稿「英独の関係」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 15.5x15.5cmx(国民新聞社原稿用紙使用) 蘇峰草稿6-641 | ||
【口述筆記】原稿「主要材料」 | 草稿・原稿 | 毛筆書き 巻物x8、原稿用紙x1枚 「伊藤、山県、井上、三浦の生年月日など」 蘇峰草稿6-642 | ||
【自筆】原稿「薩人と長人とは維新の際に大なる役目を働く」 | 草稿・原稿 | 毛筆書き 20x130cm 「世間ては彼等をスパルタとアテネに比す。」「長州人は筋道を考へる薩人は無軌道 薩人は自から勝つものと考へている長人は薩人に負けるものかと恒に薩人を相手とす」「薩人には腹芸の心得かある長人にはそれかない 経済思想にしても薩人は見掛けによらす経済家か多い長人は勿論てある。」 蘇峰草稿6-643 | ||
【自筆】原稿「万人一心の内閣を樹立せよ」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 15.5x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「明治三十六年、日露戦争以前の事と覚ゆ。当時の桂首相は、とても時局の重大に際して・・」 蘇峰草稿6-644 | ||
【口述筆記】原稿「バルカンの花火」(昭和16年4月7日) | 草稿・原稿 | 1941 | 鉛筆書き 14x19.5cmx32枚 「ユーゴ・スラヴィヤが三月二十五日議院に於て、日独伊三国同盟に加盟したことは、余りに出来過ぎた枢軸側に於ける成功であった。」「於南胃腸病院」 蘇峰草稿6-645 | |
【自筆】碑文草稿「贈正四位宮部鼎蔵先生邸碑」 | 草稿・原稿 | G-73 万年筆書き 18x26.5cm(松方正義公伝記編纂所原稿用紙使用) 「宮部田城子原稿」 蘇峰草稿6-647 | ||
【口述筆記】原稿「ものには汐時かある」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 15.5x17.5cmx2枚(蘇峰学人用箋使用) 「所謂波かある。其の波に乗ってこそ順調に乗り出すことか出来るのてある。」「此の度鳩山総理か御苦労に手を換へ品を換へ骨を折ってをらるる日ソ交渉かそれてある」 下書きあり 清書は途中切れ 蘇峰草稿6-648 | ||
【謄写】書簡控え「無着庵君宛」 | 草稿・原稿 | 毛筆書き 17x60cm 「十五日は足利に講演・・」 蘇峰草稿6-650 | ||
【口述筆記】原稿「三条実美」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 16.5x20cmx41枚(曖々村荘原稿紙使用) 「三条家は、清華の中に於て其の首に数へらるる名家にして、内大臣正一位大勲位三条実美は、藤原鎌足十一代閑院家の祖、太政大臣贈正一位藤原公季第三十三世の孫である。」 蘇峰草稿6-651 | ||
【口述筆記】碑文草稿「煙州鈴木達治碑(名教自然の碑)」(昭和12年7月7日) | 草稿・原稿 | 1937 | 万年筆書き 15.5x17.5cmx12枚(蘇峰学人用箋使用)同内容で6枚もあり 「大丈自有衝天気」 蘇峰草稿6-649 | |
【口述筆記】講演草稿「本夕は八紘一宇の夕と申すことでありますから」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 15.5x17.5cmx43枚(蘇峰学人用箋使用) 「八紘一宇と申すことは、神武天皇の御聖勅の中に『六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇となさん』との御言葉から採ったものであらうと思ひます。」 蘇峰草稿6-652 | ||
【口述筆記】原稿「徳川家康伝」 | 草稿・原稿 | 万年筆書き 16.5x20cmx34枚(曖々村荘原稿紙使用) 「織田信長は創意的の英雄であり、豊臣秀吉は建設的の英雄であったが、徳川家康は創意建設の両者を兼備したる大成の英雄である。」 蘇峰草稿6-653 |