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資料一覧 14848 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【口述筆記】原稿「国体に就て」(昭和27年9月22日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 20x105cm 「日本の国体は君を頭となし臣民を胴体となし之を合して国家となすものなり 故に之を一君万民の政体と云ふなり」「小池城衛氏に贈られし国体観なり」 蘇峰草稿4-506
【口述筆記】原稿「国史大観」(昭和27年10月3日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x445cm 「国史は日本精神の深泉なり大和民族自信自□の基本なり」「右原文は同日藤谷女史に与へられたるもの 静峰塩崎生拝写し保存するものなり」 蘇峰草稿4-507
【自筆】原稿「明治時代と明治天皇」(昭和27年10月17日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x945cm 「明治天皇誕生満百年期なり 天皇と共に明治時代を抱ひ明治時代と共に天皇を思ふ。」 蘇峰草稿4-508
【自筆】原稿「涙骨翁原稿」(昭和27年10月31日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x350cm 「日本宗教の中枢は仏教なり仏教に乏しきものは経済力なり・・」 蘇峰草稿4-509
【自筆】意見書「鳩山氏に与ふる意見書・管見数則」(昭和27年11月11日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 19x235cm 「占領七個年間の米習払拭の事 日本人の自覚を取り戻す事 皇室に対する観念を正確にする事・・」「蘇峰九十叟」 蘇峰草稿4-510
【口述筆記】原稿「成島柳北と熱海」(昭和27年11月24日) 草稿・原稿 1952 鉛筆書き 19.5x26cmx2枚 「熱海市役所よりの依頼」 蘇峰草稿4-511
【口述筆記】原稿「東船山翁喜寿祝賀」(昭和28年5月8日) 草稿・原稿 1953 万年筆書き 18x23cmx3枚 「右は当日熊本市東船山翁に祝贈せしもの」「蘇叟九十一」 蘇峰草稿4-513
【自筆】原稿「富士山に就て」(昭和28年6月10日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x130cm 「老生は日本人として富士山を愛好し且つ尊敬す 富士は日本に於ける自然界の象徴てある」「明治九年十四歳の時遠州洋上より始めて望む」「彼理の来航の際も不二に心を打たる記事あり」 蘇峰草稿4-514
【印刷物】冊子「新島先生愛用の聖書を同志社へ寄贈するに就て」(昭和28年11月28日) 草稿・原稿 1953 印刷物(タイプ打ち) 18x26.5cmx6枚 「・・然るに、先生愛用の英訳聖書一巻を、先生永眠の後、予の手許に今日に至るまで、先生唯一の遺物として、八重子夫人より、秘蔵愛護することを恵まれたるは、予にとっては、実に無上の幸いとするところである。」「徳富蘇峰翁謹述 森中章光筆受」 蘇峰草稿4-516
【口述筆記】原稿「本書奉納縁起は別刷所託に詳かなり」(昭和28年11月28日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 19.5x55cm 「高祖先生の精霊此中に寓するものとして永久に宝重護持したれんことを」「校友徳富猪一郎 校友塩崎彦市謹書」 蘇峰草稿4-517
【自筆】原稿「昭和28年年賀状賀詞先生原稿」(昭和27年) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 19.5x20cm 「新禧恭賀 徳富猪一郎」 蘇峰草稿5-518
【自筆】原稿「痴人説夢」(昭和28年1月18日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 19x350cm 「明治十九年予の東京に出つるや最初の目的は薩長藩閥を打破するにありきそれには自由党改進党九州改進党等在野進歩主義者の勢力を糾合し予一挙に帝国議会に於て藩閥政府を打倒するにありと信しその為めに努力せり」「蘇叟九十二」 蘇峰草稿5-519
【口述筆記】原稿「国士舘大学開学式」(昭和28年4月26日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x250cm 「国士舘大学の復興は我等の中心より慶賀に禁へさる所なり 時局一変以来百事混乱時に教育を以て最も甚しとなす。吾党の士柴田館長は夙に我等と斯志を同うする一人なり而して国士舘は君が畢生の心力をはくして創造し経営し且つ指導するところなり。・・いまや諸老逝くも小坂緒方諸先生あり」「当日静峰生参列祝辞す保存」 蘇峰草稿5-521
【自筆】原稿「熊本東船山翁喜寿出版詩集序文」(昭和28年5月8日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x177cm 「4-513と同内容」 蘇峰草稿5-523
【謄写】原稿「岩国錦帯橋新設・永田新之允翁の依頼により先生筆記せられたるものを写す」(昭和28年5月31日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x200cm 「古川広家は毛利元就の孫にして毛利家一族の中に於ける麒麟児なり。」「火国後学蘇峰菅原正敬」「昭和28年6月30日静峰生写記」 蘇峰草稿5-524
【口述筆記】講演草稿「近世日本国民史百巻完成記念講演会・於日比谷公会堂」(昭和28年6月5日) 草稿・原稿 1953 万年筆書き 16x22cmx15枚 「蘇叟九十一」 蘇峰草稿5-525
【自筆】講演草稿「近世日本国民史百巻完成記念講演会 第一・於日比谷公会堂」(昭和28年6月5日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x600cm 「5-525と同内容・全3巻」 添状付 蘇峰草稿5-526
【自筆】講演草稿「近世日本国民史百巻完成記念講演会 第二・於日比谷公会堂」(昭和28年6月5日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x495cm 「5-525と同内容・全3巻」 蘇峰草稿5-526
【自筆】講演草稿「近世日本国民史百巻完成記念講演会 第三完・於日比谷公会堂」(昭和28年6月5日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x410cm 「5-525と同内容・全3巻」 蘇峰草稿5-526
【自筆】漢詩稿「知己江湖幾許存」(昭和28年7月16日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x82cm 「先生久々にて二詩作 土屋竹雨、今関天彭両先生乞正斧」「経世文章塵漠〃・・」 蘇峰草稿5-528
【口述筆記】原稿「実業之世界社・野依秀一社長に贈る祝辞」(昭和28年9月28日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x410cm 「野依社長か殆んど半世紀に亙って孤軍長駆実業之世界社を築き上けられた業績は誰しも感心する殊に君と同一の業務に従事したる予は君に向って同情し且つ慶賀禁ずる能はざるものである・・」「君は明治時代の大物大隈渋沢の諸先生を勝手に引っはり廻しサンドイッチマンの役目を勤めしめ或は又三宅雪嶺翁をして恒久不息の寄書家たらしめたるが如き何人も追随する能はさる鮮かな腕前を持っている」 蘇峰草稿5-529
【自筆】原稿「聖徳太子略説」(昭和28年10月9日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x155cm 「戦後混乱の際聖徳太子を指導者として見出す」「太子の志は日本を皇室中心にて統一し支那と対等の立場に立ち交際し日本をして文化国たらしむるにあり」 蘇峰草稿5-530
【自筆】原稿「新島襄と京都文化」(昭和28年12月9日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x200cm 「新島は熱血男児なり」 蘇峰草稿5-531
【口述筆記】原稿「岳麓勤石」(昭和28年10月15日) 草稿・原稿 1953 万年筆書き 18x23cmx3枚 「大正二年八月予病むや親交阿部無仏平福百穂等予を慫慂して岳麓青龍寺に静養せしむ住職実巌和尚当時眉目秀麗の青年なりき・・」 蘇峰草稿5-532
【自筆】漢詩草稿「御殿場行」(昭和28年11月12日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 19x110cm 「白頭惟有赤心存」 蘇峰草稿5-533
【自筆】講演草稿「一寸の蟲には五分の魂」(昭和28年11月19日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x340cm 「日本人を平均すれは其のタイプは秀吉てある。」 蘇峰草稿5-534
【自筆】原稿「蘇翁足跡」(昭和28年11月19日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x280cm 「蘇翁の足跡は一半は地上一半は地下てある即ち縁の下の力持をして歩て来た」「明治二十七八年後は藩閥退治 その後は挙国一致東亜の興隆に乗り出した」「日露戦争当時は蘇翁の尤も得意時代」「蘇翁は先生として私淑したるは淇水先生新島先生勝海舟翁てある」「蘇翁には大なる自尊心あり彼は何人にも使役せられす」 蘇峰草稿5-535
【口述筆記】挨拶草稿「青龍寺に於ける挨拶」(昭和28年11月13日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x185cm 「今度御当地の皆様によりて老生及亡老妻の墓を建立」「近くは昭和二十年八月十五日主上の御放送を謹聴して忽ち思起したるは此の富士山てあった。富士山の存在する間は日本国は存在す」 蘇峰草稿5-536
【自筆】原稿「新島先生を語る」(昭和28年11月24日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x340cm 「永き生涯には種々の人物に遭逢日本はかりてなく欧米中国朝鮮等千百を数ふ」「先生との初対面一見先生に魅了せられた 先生は三十四予は十四」「日本の教育は福沢先生の功利一点張てあった 然るに一人先生は西洋文明の根本たる基督教精神を以て日本を救済せんとするにあった」「私は同志社在学中人間の貴きことを教えられた。先生は心から人間の平等を認めた。」「私は先生に洗礼を返上した 私は先生の夫人に対しては随分非礼の言説をなした。」 裏打ち済 蘇峰草稿5-537
【自筆】原稿「日米英三国の貿易」(昭和28年12月19日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 15x17.5cmx17枚(蘇峰学人用箋使用・1枚欠) 「・・此話は予が陸奥其人より親しく聞いたことであるから、間違ひではあるまい。」 蘇峰草稿5-538