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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月5日) コラム(日日だより) 「『漢族の性格を語る』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「永持徳一君」「支那は大国である。旧国である。単純でない。複雑である。故にその語る可き話題は、無尽蔵である」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年9月29日) コラム(日日だより) 「『広重江戸風景版画集』に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「松木喜八郎君編纂」「北斎は大家である。広重は名家である」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年6月19日) コラム(日日だより) 「『万葉読本』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「現代の閨秀歌人『明日香』の主盟今井邦子女史の書」「最も我等を悦ばしむるは、其の解釈中に、女史の思い出話しが出て来ることである」「女史が故平福百穂画伯の金鈴社展覧会に「猟」と題して出品したる絵を連想したる如きが、それである」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「『女身万葉』に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「武田祐吉博士は万葉学者として、現代に聞えたる一人」「日本古代の女性を研究するには、見逃しがたき資料である」「著者は又た、季節に就て、多大の感銘を持っている」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和□年□月□日) コラム(日日だより) 「『歌集波濤』に就て」 新聞切り抜き 内容抜粋:【書評】「予は久振りに、血性的歌集に触れた。本書は前陸軍少将斉藤瀏君の歌集にして。著者の心の底からの聲が、三十一文字の短歌を假りて、迸り出でたるものだ」「著者は獄中にありて『近世日本国民史』を愛読したるやに察せらる。桜田事変に関する作八首、又た「孝明天皇のお手許逼迫、涙なくして読み得ず」と題し、三首ある。何れも感銘に値ひす可き作だ」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年6月4日) コラム(日日だより) 「歌集『寒雲』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「医学博士斎藤茂吉君が、歌論の雄にして、歌学の魁たるは、今更云う迄もなし」「往昔杜少陵の詩は、詩史と称した。斉藤博士の本集も亦た歌史と云う可きに幾し」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年6月22日) コラム(日日だより) 「『日本創世記』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「これは室伏高信君の著にして、本題の傍註には、「紀前二千年史」とある」「若し現代の生活に倦厭したる者あらば、本書を透して、新石器時代の日本生活に立ち返るも、亦た一個の快活事たるを失わない」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年6月26日) コラム(日日だより) 「『東大寺史』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】 「大屋徳城君、東大寺刊行」「東大寺の寺史は狭く言えば南部の仏教史でああり、広く言えば日本の文化史である」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和年月日) コラム(日日だより) 「エルネスト・ラヴイス著、広瀬哲士訳『欧州史』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「広瀬哲士君の翻訳にかかる本書を一読して、如何にも短編の妙を尽くしているに驚嘆す」「けれども所謂る短編にして、その要領を得ることは、頗る難事だ」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月15日) コラム(日日だより) 「『遠湖文髄』を読む」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「内田遠湖翁は、現代に於ける山崎学者(山崎関斉)の巨擘である」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月13日) コラム(日日だより) 「『行雲流水』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「上原芳太郎翁の懐旧録」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年2月13日) コラム(日日だより) 「『あし屋日記』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「下田将美君最近の最近の随筆集」「高見沢木版所の刊行」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和□年□月□日) コラム(日日だより) 「『夢窓国師偈頌及歌集』に就て」 新聞切り抜き 内容抜粋:【書評】「彼は凡有る禅僧中、人間を取扱う術に就て、無比の手腕家であった」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年5月18日) コラム(日日だより) 「歌集『春』に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「短歌作者国体一路会の主盟・山下陸奥君の著」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年8月□日) コラム(日日だより) 「古書今読(2)左氏伝の著者は誰ぞ」 新聞切り抜き 内容抜粋:【】3F倉 「左氏伝の著者は、誰にせよ、彼は極めて自由なる立場に立ちて、其の史筆を揮ふたものである」 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年8月□日) コラム(日日だより) 「古書今読(5)左伝と史記」 新聞切り抜き 内容抜粋:【】「史記は人を主とし、左伝は事を主としている」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年9月11日) コラム(日日だより) 「古書今読(23)鄭の子産(7)」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「子産は春秋時代、尤も円満具足に近き政治家の一人だ」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「思出の「唐詩正声」(四)」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「愛別苦離の情は、人類共通のもの。但だ唐の詩人は、動もすれば、哀れんで傷り、怨嗟、愁訴を事とし」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月17日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(一)人間と環境」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「文学の上に大打撃を与えたのは、交通、運輸の便宜である。詩歌の一半は殆んど覊情、客思に支配せられた。」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月18日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(二)古人の書簡文」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】 「支那では書簡文を、当初から重要視し、古文辞学者は、之を以てその総てとはせざるも、その重要なる一部としたるは、彼等の全集中には、必らずその若干の分量を占めつつあるを見ても知らる」「希臘では書簡よりも、対話が重きをなしたるとは、ソクラテスのそれを見ても、分明である」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月21日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(三)信長と秀吉の書簡」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「予は修史の資料として、戦国時代より維新以降までの凡有る書簡類を渉猟した。而して武田信玄、上杉謙信、毛利元就、北条氏康などの文学的教養のある武将は、姑らく措き。所謂人間記録として、豊臣秀吉の書簡ほど面白きものはあるまいと思ふ」「秀吉の書簡は、何れも人間味が溢れている」「女性としては北政所も、その筆翰は見事である。淀殿は猶更である」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月□日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(四」徳川初期以降」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「書簡に文学的趣致を見出すことは、頼山陽に到りて、始めて大に著はる」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月22日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(五)藤田、佐久間、横井、吉田、橋本」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「徳川末期に於ては、藤田東湖、佐久間象山、横井小楠は、其の人物としても、傑出しているが、其の書簡も亦た銘々の個性が、何れも紙表に活躍している」「三大人の後には、橋本景岳、吉田松陰の二君の書簡が、亦た尤も多く読者に感銘を寄与する」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月23日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(六)幕末の大名と幕府の官僚」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】 「幕末の大名中にては、其の分量から言えば、水戸烈公に出ずるものはあるまい」「山内容堂公、松平春嶽公」「勝海舟、大久保忠寛」3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月24日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(七)三條、岩倉、西園寺」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「公家の中に於て、名筆は三條実美である」「西園寺陶庵公の書は、岩倉の折針流でもなく、三條の清潤玉の如き類ではない」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月29日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(九)西郷、木戸、大久保」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】 「所謂る維新三傑は、書簡にかけても、何れも其の特長があった」3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年8月30日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(十)大久保甲東」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「大久保甲東は、固より文士ではない。されど其の書簡は啻だに條理分明、論旨井然、一糸紊れざるばかりでなく。咄々として人に肉薄し、非常なる力もて、壓迫し来るものがある」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年9月3日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(十一)西郷南洲」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】 「西郷の書簡の特色は、謹慎其物だ。文句も鄭重だ。筆跡も鄭重だ。紙墨も亦た然りだ」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年9月4日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(十二)南洲の自画像」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】 「南洲の詩も、南洲の書も、南洲其人の活描である。心聲、心画、皆な此中に現はれている。けれどもその書簡に至りては、更らに夫子の自画像である」「我が同胞の多くは、南洲を愛慕し、崇拝することを知るも、南洲其人が何人であったかを知る者は、遺憾ながら多くない様に思う」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年9月9日) コラム(日日だより) 「書簡に関する雑感(十三)伊藤、山縣(1)」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】 「書く可き人にして、一生書簡を書かなかった人に、侯爵大隈重信がある」「明治の元勲中、書簡にかけては伊藤と山縣を推さねばならぬ」「我等は春畝公の書簡を見る毎に、其の才の美なる標本を、眼前に展開せられたる心地する」 3F倉 袋5に新聞切り抜きとコピーあり