×
検索条件
検索条件(キーワード)
 

資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「「興亜一路」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「旧友井上雅ニ」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年6月30日) コラム(日日だより) 「袋田より水戸」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「袋田温泉」「四時皆春」「此地は桜田志士関鉄之介の隠匿したるところ。」「星ヶ丘茶寮に於ける、講談社の座談会」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年5月16日) コラム(日日だより) 「偶感一則」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「東京会館」「拙著「昭和国民読本」五十万部突破の祝宴」「但だ毎度「新日本の青年」、「将来之日本」、「国民之友」などの評判を珍しく持ち出さるるには、聊か閉口する。是等は予が世の中に踏み出したる、第一歩の著作にして、今日之を読んで、真に冷汗三斗の想をなす。」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年6月25日) コラム(日日だより) 「仙台及平市」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「宮城県蘇峰会」「蘇峰会平支部創設」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年6月24日) コラム(日日だより) 「盛岡の一日」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「大慈寺に赴き、原敬君の墓に、一弁の香を焼いた。同君の故郷に蘇峰会支部が、成立するに際し、一応の渡りをつくるは、当然の礼儀である。」「秀清閣にて、雪沢知事」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年1月□日) コラム(日日だより) 「新年雑話(九)五十年前の回顧」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「その一は今より五十年前、即ち明治二十三年一月二十三日、大磯の客舎に於て、新島襄先生が、壮図を抱きつつ、四十八歳にて長逝せられた事である。そのニは明治二十三年二月一日に、「国民新聞」の発刊せられたる事である。然も先生の長逝と、「国民新聞」の発刊とは、全く無関係の事でなかった。否な其間に因縁もあれば、干繋もあり、連絡もあれば、諒解もあった。今之を語らんとするも、先生以外には之を知る人がなく、従って語る可き人がない。」「過去をして過去を葬らしめよとは達人の語である。」「新島先生の長逝は、殆んど我等の頭より光明を奪い去った。我等の手より希望を拭い去った。先生の
長逝が我等の精神に与えたる大なる打撃は、五十年後の今日に於ても、未だ全く癒えていない。せめて爾後の五十年間、先生の恩遇に酬ゆ可く、先生の所志の一片にても成就せんと努力しつゝあったが。それさえ全く意の如くならなかったことを遺憾とする。」「人生は一日生存すれば、一日の意義があらねばならぬ。」3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「阿部内閣の前途」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「即今の如き時局に於ては、国民は何よりも有力なる政府を要望す。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「八方美人的外交は、最も不安全の外交である」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「我等は曽て近衛声明なるものに対しても、大なる遺憾を持っている。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年7月1日) コラム(日日だより) 「「石川翁農道要典」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「秋田県の石川理紀之助翁」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年12月6日) コラム(日日だより) 「志士的道学先生(二)松村介石翁に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【人物】「世には道学者もある、志士もある。但だ翁は之を兼ね具へた。」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「紀元二千六百年の記念事業として関釜鉄道布設の議」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「而してその鉄道は関門海峡より、壱岐、対馬等の飛石を経て、釜山若しくはその付近に貫通するものだ。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「弱体内閣の覆轍に鑑みよ 近衛内閣の任務」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「我等国民は、最近十年、殆んど弱体内閣に悩殺せられた。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和□年□月□日) コラム(日日だより) 「続蕉影余韻」 新聞切り抜き 内容抜粋:【書評】「菊本直次郎」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年12月28日) コラム(日日だより) 「「箴言伝道之書附雅歌」」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「山室軍平」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年1月3日) コラム(日日だより) 「新年雑話(三)孟子と韓非(1)」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「孟子を愛読するには韓非を愛読せねば、其の真味が分からない」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「米国と平和を保全するの道」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「米国の日本に対する敵性挑示」「米人は日本に対しては、ヒステリー的となっている。」「日本は東洋に於ける米国第一の顧客である。然るにその顧客を、目の敵として、恒に日本に対して、屡ば日本の辛抱力を、極端まで試みんとするが如き行動を逞うしつゝあるは、果して如何なる理由である。焼餅か、誤解か、将た他に意趣ある乎。」「日本を経済的窒息に陥れんとしつつある。石油を断ち、綿花を断ち、鉄屑を断ち、その他日本に必須なる一切の糧道を断ち、日本を坐がら干し殺さんと目論見つゝある。」「諺に「障らぬ神に祟りなし」と云ふ。我等は決して好んで障りたくはない。けれども彼が来りて障らんときには、我もそのまゝ引き下がる訳には参るまい。」「米国は今や世界の驕児である。」「媚態外交は、断じて不可。若し万一媚態の痕跡だにあらば、彼は直ちに之を以て我の弱味と見做さむ。(中略)米国と平和を保全するの道は、只だ我が軍備を充実して、彼をして我に近づく能はざらしむるの一あるのみ。外交も談判もそれ以後の事だ。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「外交の新機軸」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「松岡外相」「日ソ中立条約」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「日本に外交あり乎」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「松岡外相」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「議会と新聞」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「議会と新聞とは、我が国民の意志を中外に発表し、之を実践する、最高、最上、最善の機関である。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「痴人の夢」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年6月14日) コラム(日日だより) 「国民の声」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「予は四国、中国、近畿、東海各地方を巡遊し、各種の人々に接し、その意見を聴いた。而して随所に於ける蘇峰会支部の座談会は、実に一面予より物を聴く会である如く、他面予に物を聴かせる会であったことは、申す迄もない。」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「米人英人の囃子に踊らず」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「我等は恒に米国が、英国の笛や、太鼓に囃されて、躍り出すことを心外千万とする者だ。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年6月13日) コラム(日日だより) 「富士の霊気」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「江崎鋹兵衛君」「清水鉄舟寺に於ける蘇峰会支部の座談会」「山元春汀(今は桜月と改称)」「予は七十有七歳の生涯を経た。されど如何に熟慮しても、「国は日本、山は富士」と断言するを遅疑しない。」 3F倉 「蘇峰文存紀行其他(G-48)にもあり・袋4」 蘇峰集37 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年7月13日) コラム(日日だより) 「「英国の殖民政策」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「日本人の九分九厘までは、英国を買被りている。」「中外商業新報記者斉藤栄三郎」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和13年□月□日) コラム(日日だより) 「恐英病を根治せよ」 新聞切り抜き 1938 内容抜粋:【】「若し戦争が、政治の延長ならば、政治も亦た戦争の延長であらねばならぬ。」「恐英病は八十年来、我邦の持病となっている。」「本文の記者は、維新史に就ては、多年の研究を積んでいる。」「英国の十八番は恫喝である。威嚇である。空手形である。」「而してその化の皮は前には伊太利のエチオピア攻略の場合に、ムッソリーニ首相によりて剥がれた。」「ヒットラー総統の為めに、看破せられて、再びその化の皮が剥がれた。」「先づ我が朝野より恐英病を根治するを以て急務と信じる。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年11月17日) コラム(日日だより) 「「戦ひはどうなるか」に就て」 新聞切り抜き 内容抜粋:【書評】「陸軍省情報部長陸軍砲兵大佐清水盛明」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和17年□月□日) コラム(日日だより) 「平和の戦争」 新聞切り抜き 1942 内容抜粋:【】「云はば平和の戦争は思想の戦争である」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「秋風五丈原」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「陸軍少将大場弥平」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「歴史的連想」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「即今の形勢は、正に明治三十六年下半期の形勢に頗る酷似している。」「日本は露国の圧迫に対し、極度まで辛抱した。」「今日から思えば、よくも伊藤、山県、桂、小村等当時の輔弼の巨僚が、聖謨を翊賛し奉ったに感謝する。我等は当初より、米国を敵視したるものでは無かった。否な寧ろ最も親交国とし、同盟の約束無き同盟国視していた。日米の国交は殆んど百年に垂んとする。而して常に我は彼に向って、譲歩し、妥協し、偶々日本人差別問題等に対して抗議をしても、又た泣寝入りの状態で済ました。而して悉くとは云わぬも、殆んど総てを彼より働き掛け、我は受け身であった。然し物には限度がある。」「日米通商航海条約破棄」「明治三十五、六年の間に於ける露国の我に対したる態度を、今更ら連想せざるを得ざるものがある。」「我等は従来米国は英国に引摺られ、英国の尻馬に乗って、東洋問題に余計の干渉をするものと眺めていた。然し今日は、米国がその主動力で、英国は全く米国より引摺られている。」「日本は国難に際して決して無謀に突進したるものでは無い。然も最後の一断に至っては、利害計較の上を超越し、国家の運命を確信して、成敗利鈍を顧りみず断行した。文永、弘安の蒙古襲来の時に於けるが夫れである。明治三十七、八年の役がそれである。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「自己陶酔」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「我等は英人の自己陶酔振りを見て、深く自ら警省する必要を認むる。」「英人には自ら天祐の裕かなる国民たる矜持がある。而して其の周辺の出来事を、一切合切皆な自己に都合よく解釈する癖がある。」「英人の自己陶酔は、其病膏肓に達し、とても手が着けられぬ状態である。彼等は其眉に火がつくまでは、平気である。而して一たび火がつくや、今までの泰然振りとは、打って換りて、周章もし、狼狽もする。」「我が日本が実に幸運の国であることを感謝措く能はない。明治二十七八年役、三十七八年役、近くは昭和六年九月十八日柳條溝以来の支那事変、一として我が思う通りに運ばないものは無い。」「自己陶酔は、実に自己滅却の第一歩である。英人は実に我等に現在その実物教訓を与えつゝある」 3F倉 袋1