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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「土と戦ふ」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「菅野正男」「昭和十五年紀元節」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「わが愛する生活」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「主婦之友社長石川武美」「生活の修繕」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「神社大観」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「「敬神愛国の旨を体す可き事」とは、維新当初の新政府より、全国への布令であった。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「政治の公明 公明の政治」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「本文の記者の如きは、日清戦役にも、日露戦役にも、一新聞記者としての役目を果している。その時代と、最近三年間の支那事変とを対照すれば、実に隔世の感がある。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「世界の大変に処す可き、国民の覚悟」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「我等は、阿部内閣の欧州戦乱不介入には異存が無い。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「自主的外交と恐英病」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「近衛内閣を倒したるも、恐英病であり、平沼内閣を倒したるも、亦た恐英病である。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「絃外の音」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「女性二千六百年史」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「高群逸枝女史」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「歴史的先例」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「我が徳川幕府の掉尾の運動とも云ふ可き天保度の改革の失廃も、亦た同様であった。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和16年□月□日) コラム(日日だより) 「主客の転倒 官の為めの民乎 民の為めの官乎」 新聞切り抜き 1941 内容抜粋:【】「平沼内相も、此の弊害には気付ているものと見え、濫りに地方長官を更迭せしめざる様との意見を、新聞に漏らしている。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「米国大統領の三選」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「我等の予想通りに、ルーズヴェルト氏は、北米合衆国の始祖ワシントン以来の先例を破壊し、大統領三選の目的を達成した。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年月日) コラム(日日だより) 「北守南進乎、南守北進乎」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「責任の行衛」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「未曽有の大難局に出会している。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「「寒窗記」と「鷲」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「川田順」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「前途に光明あらしめよ」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「新体制」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「局面は変転し、時代は進歩する」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「米国大使グルー氏」「・・演説に就て、真に多大の遺憾と、深甚の失望を感ぜざるを得ない。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年□月□日) コラム(日日だより) 「年貢の納め時」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【】「欧州も亦た多事なる哉だ。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年5月1日) コラム(日日だより) 「楽閑荘雑音(十)精神的餓饉」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「汪精衛君」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年5月1日) コラム(日日だより) 「「佐多愛彦先生伝」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「伝記を作るは容易の業でない。就中生人の伝記が、尤も困難である。」「日本と限らず、世界を見廻はすに、孰れの国にも、医者には政治家が鮮くない。我国に於ても、松本順、石黒忠悳、長与専斉、青山胤通、北里柴三郎等は其の尤もである。後藤新平伯の如きは、医師の出身ではあるが、余りに政治家の要素が勝ち過ぎて、如上の序列に加ふるよりも、寧ろ番外に措く可きだ。」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「負け惜しみは政治家の美徳にあらず」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年2月7日) コラム(日日だより) 「「病院船」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「故橋本綱常先生」「赤十字社看護婦大嶽康子女史」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年2月13日) コラム(日日だより) 「「武顕戦跡画集」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「久保田米僊」「三橋武顕」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年2月14日) コラム(日日だより) 「聖詔を捧読す」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「徳富猪一郎」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年2月20日) コラム(日日だより) 「「東洋文化史百講 上」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「石川三四郎」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「新奇蒔直し」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年3月7日) コラム(日日だより) 「「綜合古瓦研究」及び「同第二分冊」に就て」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【書評】「佐伯啓造」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「楽閑荘雑音(三)海上の日出と月出」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「予の楽閑荘は直ちに伊豆洋に面す。階下一投石の距離、波濤来り拍つ。最近三か月、雨日、曇日ならざる限りは、日々太陽の海上より転り上るを見る。時宛も修史属稿の最中である。予は毎度それに専念しつつも、窓外の光景に目を惹かれざるを得ない。」「其の天候、風位、雲影、霧色、悉く日出の陪景として、其の特色を発揮せざるはなし。ラスキンのペンを傭い来らざる限りは、何人も之を形容する能はざる可し。」「清福」「月の海上より出ふるの観は、亦た日出のそれとは別様である。」3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「男児は死んでも桜色」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「日本国民の特色は困苦を困苦として思わず、恒に快活の心意気をもて之に善処することだ。所謂る「男児は死んでも桜色」とは、此れを意味する」「緊縮とは一大勇猛心を鼓して、一大精進を作さしむることだ。」「我等の友邦独逸人や、伊太利人は、我等より以上に、大なる困苦を忍受し、且つ甘受した。それは彼等が前途に、一は大なる独逸民族国の復興を描き、他は羅馬大帝国の再建を描きつつある為めだ。」「所謂る国民的精神総動員は、其の本家本元たる当局者から手を著く可きものだ」「日本国民は、飽迄快活の国民だ。若し万一この国民を泣虫、愚痴虫、不平虫たらしむる者あらば、その責任は何人に存する乎。為政者須らく三思せよ」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和15年□月□日) コラム(日日だより) 「愉色婉容」 新聞切り抜き 1940 内容抜粋:【】「」 3F倉 袋1
東京日日・大阪毎日新聞(昭和14年11月28日) コラム(日日だより) 「「新井白石の歴史学」に就て」 新聞切り抜き 1939 内容抜粋:【書評】「勝田勝年」「三浦周行博士の姪」「東京帝国大学史料編纂所」 3F倉 袋1 袋5に新聞切り抜きとコピーあり