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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【自筆】憲章「株式会社三和組憲章」(昭和18年12月吉日) その他 1943 毛筆書き 18.5x310cm 「社長福西泰一郎」「蘇峰八十二叟撰並書」「下書き原稿用箋5枚同封」 蘇峰草稿3-309
【自筆】書簡控え「東条首相閣下 御直」(昭和19年2月24日) その他 1944 毛筆書き 19x330cm 「今回の内閣改造は勿論天下人心に一段の戦時気分を漂せたが閣下親から軍全の総元締に任せられたるは実に一死を賭して国難に衝らんとする御決心か一億民衆に透徹し快心の至りに候。」「要するに此際は一切顧慮せす強気一方にて御邁進を希望す」 蘇峰草稿3-311
【自筆】答申案下書き「賀陽宮殿下御下印によりて」(昭和19年5月2日) その他 1944 毛筆書き 18.5x190cm 「第一は薩長藩閥 第二は政党政治 第三は官僚政治」「民の為めの官てなく官の為めの官だ」「政府自から改善するを要す」 蘇峰草稿3-317
【口述筆記】答申案控え「賀陽宮殿下への答申案」(昭和19年5月2日) その他 1944 万年筆書き 18.5x25.5cmx8枚 「過日拝謁の際忌憚なく卑見を上陳すへり台命を辱ふす」「畏れなから今上陛下は御歴代の中にて最も英明成徳の天皇と仰き奉る唯た憾むらくは登極以来巳に二十年に近きも不幸輔弼の臣僚に此の成徳を皇民に光被せしむる政治家の欠乏することを」「現在は政務ありて政治なく事務家ありて為政者なく細工師ありて国家大計大略を企画実行する経世家なし」 蘇峰草稿3-318
【自筆】辞任届書下書き「貴族院議員辞任届書」(昭和19年5月19日) その他 1944 毛筆書き 18.5x35.5cm 「辞任御願 私儀病気に付貴族院議員辞任致度此段願上候也 昭和十九年五月十九日 貴族院議員徳富猪一郎 貴族院御中」「もう一枚下書き同封」 蘇峰草稿3-320
【自筆】講演草稿「甲府コナヤ旅館に於て」(昭和19年7月6日) その他 1944 毛筆書き 18.5x450cm 「武田信玄公の政治則是なり」 蘇峰草稿3-329
【自筆】講演草稿「日米戦争は九十二年前に起る可きてあった」(昭和19年9月26日) その他 1944 毛筆書き 18.5x590cm 蘇峰草稿3-329
【自筆】謹上控え「賀陽宮殿下(恭奉賀新)」(昭和19年1月1日) その他 1944 毛筆書き 31x42.5cm(蘇峰用箋使用) 「時局重大外敵退治勿論の事に候」「拙著「必勝国民読本」を近々刊行御手許迄献上仕度」「国内に充溢する頽廃気分享楽気質敗戦思想等は是非一掃仕度候」 蘇峰草稿3-346
【自筆】覚え書き(備忘録)「以上の外に救国の目途あるを認めす」(昭和20年1月18日) その他 1945 毛筆書き 18.5x180cm 「一神武東征を以て聖戦完遂の模範とす 一天皇親政万機親裁皇軍大元帥の御実現 一首相は可否献替時直言直諫真に輔弼の臣たるを要す 一陸海軍を打て一丸となし兵部省となし之を一元化する事 一一切の軍需品製造を国営とす 一此際政社政党を製造せんとするは其の動機の如何に拘らす戦闘国家の行動を阻害するものなれは断して之を禁過すへし ・・」 蘇峰草稿3-359
【自筆】メモ書き「伊藤公句・蘇峰筆記」(明治35-6年頃) その他 1902 毛筆書き 6.5x10.5cm 「蘇峰の名刺に蘇峰が筆記」「月独秋や占む・・隅田川」「塩崎が記した来歴書同封・此の名刺の句は明治三十五六年の頃多分向島の大倉の別荘でと思ふが伊藤公と同席夕食を共に戴いて居るとき同公が口ヅサミ居らるるを自分が記し置きしものなり」 蘇峰草稿3-364
【自筆】覚え書き(備忘録)「時事問答・相曽誠治氏との談話」(昭和20年3月4日) その他 1945 毛筆書き 18.5x170cm 蘇峰草稿3-366
【謄写】書簡控え「阿南陸相閣下宛」(昭和20年4月10日) その他 1945 謄写資料(万年筆書き) 17.5x26cmx10枚(徳富秘書課用箋使用) 「今回の御就任先以て皇軍の為祝著不過之候。」「老生は五十年来皇軍諸先輩の知遇を忝ふし山県、大山、川上、桂、児玉、寺内等皆な老生を眷顧せらる」「前大臣とは面識なし故に遂に言はんと欲して其の機会を得す候。本書は閣下御一人に差出候ものなれは決して他には御漏しなき様冀申上候 又拝」 蘇峰草稿3-369
【自筆】覚え書き(備忘録)「鄙見の大体は上奏文(原文は鈴木首相に手交)」(昭和20年4月21日) その他 1945 毛筆書き 18.5x123cm 「言論報国会の十個条にあり 一戦争一本の事 一・・」「右は昭和二十年四月二十一日鈴木首相に会見の際意見具申の要点也」「第一控」 蘇峰草稿3-370
【自筆】覚え書き(備忘録)「昭和二十年四月二十一鈴木首相と会見に付」(昭和20年4月21日) その他 1945 毛筆書き 18.5x113cm 「一拙者の意見大体に付賛否如何・・一従来通老記者としての本分には一切拘束無し事 一其間に於て双方の意見相反する際には何時たりとも進退自由たるへき事」「数次なりさるも至尊に謁見□忠上陳の都合御取計有之度候事」「首相と連絡を取る為め特に適当の人を御指定願上候事」 蘇峰草稿3-371
【印刷物】訓字「訓示・陸軍大臣阿南惟幾」(昭和20年6月28日) その他 1945 印刷物(タイプ打ち) 25x37cmx2枚(二つ折り) 「荒尾大佐のゴム印」「印刷報告書1枚同封」 蘇峰草稿3-378
【自筆】メモ書き「国民の戦意高揚」(昭和20年) その他 1945 毛筆書き 12.5x14.5cmx2枚(徳富修史室整理票使用) 蘇峰草稿3-378
【自筆】意見書「鈴木首相閣下に与ふるの書」(昭和20年7月16日) その他 1945 毛筆書き 18.5x310cm 「天下の大勢嵐に乎弊船に座して大瀑布を下らんとするに似たり。」「之を救済するの道只た一。天の岩戸を押し開き至尊御出現一君万民の実を御挙行あらせらるること是のみ。」「迂生は元来対米英戦争の熱心なる主張者たる程の力なきもその賛成者に相違なし。自ら責任を感する重且緊若し独乙の覆轍を履むか如きあらは万死余罪あり。」 蘇峰草稿3-380
【自筆】辞表「高石会長 奥村社長宛」(昭和20年8月15日) その他 1945 毛筆書き 「本日限り貴社に賓たることを辞退す 宜布御諒察を乞ふ 同時に多年の御厚情を感載す 徳富猪一郎 高石会長 奥村社長」「赤字にて添え書きあり」 18.5x58cm 蘇峰草稿3-382
【口述筆記】意見書「鈴木首相閣下宛」(昭和20年7月16日) その他 1945 毛筆書き 32x42cmx6枚(蘇峰用箋使用) 「蘇峰草稿3-380の清書か?」 蘇峰草稿3-385
【自筆】覚え書き(備忘録)「狂人妄語」(昭和21年9月26日) その他 1946 毛筆書き 18.5x85cm 「主の為めにと尽せし誠今は我身の仇となる」 蘇峰草稿4-412
【自筆】覚え書き(備忘録)「民友社屋仍作述懐十首」(昭和21年9月27日) その他 1946 毛筆書き 18.5x136cm 「国民社去りたる後に最後まておのか根城と守りし此社」「家を売り書物を売りて今はしも此の社屋をもまた売らんとす」「明治大正昭和の御代に貢けたる崇き功勲は知る人そ知る」 蘇峰草稿4-413
【自筆】覚え書き(備忘録)「松岡洋右」(昭和21年9月30日) その他 1946 毛筆書き 18.5x190cm 「予は彼か昭和十五年七月予の岳麓に訪ひたることを思ひ出す」「予は何の日にか彼の為めに其冤を雪かんと思ふ然も予亦た今や容疑者てある嗚呼」 蘇峰草稿4-414
【手書き】陸軍御尋ね書「御尋ね」(昭和21年10月) その他 1946 万年筆書き 18x25cmx5枚 「陸軍用箋使用」「今回の対米英戦争は何者かが国民を誘導してここに至らしめたりと御覧ですか 又は国際情勢より生れた国論が自然に当局をして開戦を決断するに至らしめたりと御覧になりますか」「此等の内閣の首班や主要閣僚との間に対米英戦争を起すの謀議があったものと御観察になりますか」「其他本件の責任決定につき参考となるべき事実を御示し下さい」「貴下は故桂公爵(日露戦争当時の総理大臣)と親密の関係を保って居られましたか」「セオドア・ルーズベルト時代の米国陸軍卿タフト氏と桂公との間の約束につき御聞きの事を教へて下さい(別冊二十四、二十五頁)」など16の質問 「その他、供述書と宣誓書の書き方見本あり」 蘇峰草稿4-419
【自筆】目録「主婦之友当」(昭和22年3月13日) その他 1947 毛筆書き 18.5x132cm 「新島先生遺物バイブル楠函入、新島先生書簡二折長方形桐函入他全7点」「老生個人に特別関係あるものに付手許保留の旨大体原社長も御承知のことと存候也 頑蘇老人」 蘇峰草稿4-425
【自筆】要領「返事原稿」(昭和22年3月29日) その他 1947 毛筆書き 18.5x165cm 「静子孝子に読聞せ候原稿右自ら清書の上孝子に相託す」「在中武雄氏に返したる原稿也」「全6項目」 蘇峰草稿4-427
【謄写】書簡控え「東条勝子宛」(昭和25年12月23日) その他 1950 毛筆書き 18.5x56cm 「命日出状写」 蘇峰草稿4-463
【自筆】雑記「随縁雑俎」(昭和26年3月31日~昭和29年12月28日) その他 1951 毛筆書き 15x20x2cm 「昭和二十八 六月五日は予か日比谷公会堂に於て戦後初度の講演を敢行したる日なり。」 蘇峰草稿4-467
【謄写】書簡控え「天野文相宛・管見一二」(昭和26年4月5日) その他 1951 万年筆書き 25x34cm(二つ折り) 「日本敗戦の原因多端なるも其の根本的の最要点は上下を挙げて各自の責任を忘却したるにあり。恐れながら上は天皇陛下より文官武官国民総階層を挙げて殆んど皆然りとす」「新島は吉田松陰の風格と新英州清教徒の品性とを併有せり」「文部省も老生の知る所によれば森有礼 井上毅の如きは其の尤も昭著なる人物なりき」「教育の要は理論よりも実物にあり 福沢翁も教育は耳より入らずして目より入るものなりと云ふ事是れ名言なり。」 書簡登録あり 蘇峰草稿4-469
【謄写】書簡控え「天野文相宛・陳言一則」(昭和26年4月9日) その他 1951 万年筆書き 25x34cm(二つ折り)・18.5x310cm(自筆毛筆書きあり) 「今日尤も閑却せられたる一は情育なり。」「自治の要は郷土愛より始まる。」「今日の我邦に於て尤も欠乏したるは報恩敬虔崇拝の心なり」 蘇峰草稿4-470
【謄写】意見書「鳩山一郎宛・管見数則」(昭和27年11月11日) その他 1952 毛筆書き 18.5x325cm 「韮山水宝館に静養中の鳩山一郎氏を訪問の折同氏に手渡されたる管見なり」「占領七個年間の米習払拭の事」「日本人の自覚を取り戻す事」「今日の憂は中流階級の全滅にあり如何にして中流階級を護持すへきかは邦家百年の大計たる事」 蘇峰草稿4-471