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資料一覧 14844 件
資料名 種別 年代 画像 備考
国民新聞(大正12年12月10日) コラム 「大命清浦子に下る」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【政治】 「大命清浦枢密院議長に降下す。嗚呼復た何をか謂はん哉」「超然内閣」「最善の枢密院議長、必らずしも、最善の総理大臣と云うべからず」  3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月□日) コラム 「過去よりも将来」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事・生活・精神】「大切なるは復興の業」 「若し過去を顧みるの未練ならば、その力を前途に竭せ」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月9日) コラム 「中産階級の一致団結」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事】「中産階級の無勢力」 「普選実行の暁に於て、最も先ず其の恩恵に浴する者は、我が労働者ならむ」 3F倉 蘇峰集3
国民新聞(大正12年11月8日) コラム 「中産階級の悲劇」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事】「中産階級の没落」 「労働階級の豊年」 「知識階級に属する自由職業の人々は猶更困難を感じつつある」 3F倉 蘇峰集3
国民新聞(大正12年11月2□日) コラム 「英国の帝国会議 治に居て乱を忘れず」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【海外・政治】「国防の方針」 「海軍の充実と航空軍の拡張」 「新嘉坡海軍根拠地の設置」 「治に居て乱を忘れざるのみならず、治を説いて、乱に備えている」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月2□日) コラム 「婦人の労作」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【生活・女性】 「白粉無用論」 「振袖無用論」 「銘仙同盟」 「木綿同盟」 「積極的に婦人の労作を奨励したい」 「婦人各個が、自ら其の職業をを求め、之に従事することだ」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月2□日) コラム 「多数党と少数党」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【政治】「一旦多数者となれば直ちに虎となり、一旦少数者となれば、忽ち猫となる」 「政党は多数党でなければ存立す可らずと云う理由は、一も是れない。少数党とても、苟も信用あり、品格あり、気魄あり、戦闘力ある少数党たらば、多数党をして、我志を行はしむるの方便は、一にして足らぬ」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月28日) コラム 「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く勿れ」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事・災害】 「自警団は少なからぬ味噌を附けた」 「斯る機会に、我が市民の、隣保相ひ扶くる、自治的公共生活の実験を遂げんとを勧説す」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月27日) コラム 「英国労働党の新刺激」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【国外・政治】「保守党若しくは統一党」 「有力者であるオースチン・チェンバレー氏やバークンヘッド卿」 「ロイド・ジォージ」 「老練・堪能のバルファ伯」「有為新鋭のホーン氏」「アスキス派の独立自由党」 「ロイド・ジォージ派の国民自由党」 「労働党の首領ラムセー・マクドナルド氏」
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国民新聞(大正12年11月26日) コラム 「四人の保護者」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事・生活・精神】「寒気は漸々に我が身辺に肉薄し来る」「罹災民」 「吾人は銘々各個に於て、四人の保護者が付き添うている。即ち二本の手と、二本の足である」 「他力は一時の方便、自力は終生の方便」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月25日) コラム 「婦人に参政権を分配せよ」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【教育】「英国前首相・アスキス氏」 「自恃の精神ある国民ありて、始めて自恃の精神ある国家は出で来る。教育の要は先ず之を長養するにある」3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月24日) コラム 「体力養成」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【教育・精神】「体力養成は、品性養成とともに、教育の第一義たるを忘れてはならぬ」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月23日) 国民評論 「知恵と勇気 ビアード博士の公開状を読みて」 新聞切り抜き 1924 内容抜粋:【人物・時事】「後藤子爵」 「大震火災の復興」 「復興の計画毫も熟せざるに、博士は倉皇帰国」 「復興院」 「総ての事業は、之を計画する智恵のみにては成就しない。必ずや之を断行する勇気を必要とする」 記事担当・石川 3F倉 蘇峰集3
国民新聞(大正12年11月21日) コラム 「精神的復興」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事・災害・精神】「精神復興して、茲に能率挙がり、能率挙りて、茲に復興の事業成る」 「活動的元気の不足」 「復興気分の不足」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月1□日) コラム 「伊国首相と対症の妙薬」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【海外・政治・人物】「伊国首相ムスソリニ氏」 「快男児」 「曰く勤労、曰く紀律、曰く服従、曰く勇気」 「勤労と勇気、何たる快活の言葉ぞ。吾人が現時に処するの道、実に此に存す」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月1□日) コラム 「不言実行乎多言不実行乎」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【政治】「山本内閣」 「多言内閣」 「饒舌内閣」 「虚言内閣」 「空文内閣」 「如何に宣伝の世の中なればとて、万言にして一行なきは、国民の忍受する能はざる所也」 3F倉 蘇峰集3
国民新聞(大正12年11月17日) コラム 「婦人に参政権を分配せよ」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【政治・女性・権利】「現時日本に於ける、社会風紀問題上、社会経済問題上、最も婦人に関係あるもの甚だ沢山ある」 「公娼問題」 「婦人労働問題」 「婦人参政権問題は其実政治的道義問題也」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月16日) コラム 「即今の政界」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【政治】「犬養逓相」 「山本内閣」 「憲政会と政友会」 「革新倶楽部」 「今日の山本内閣は、政権を握りていると云う以外に、何らの強点なし。云わば山本内閣の強さにあらず。諸政党の弱き也」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12年11月12日) コラム 「感謝にて可也」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【国民・心情】「不時の天災人禍に際して、世界列国の同情者、頗る少なからず」 「国家交際」 「恩」 「対等両敬の間柄に於て、容易に使用す可き言葉にあらず」  3F倉 蘇峰集3
国民新聞(大正12年11月11日) コラム 「愛国教育乎否愛国教育乎」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【教育】「愛国者」 「愛人者」 「愛世界者」 「大中至正の道」 3F倉 蘇峰集3
国民新聞(大正12年11月10日) コラム 「土地の所有者」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事】「小農制度」 「地租減税法」 「地租の現行法を改正」 「土地国有論」  3F倉 蘇峰集3
国民新聞(大正12,13年□月□日) コラム 「非常の施設」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【政治】 「銀行をして、民間の諸事業を後援せしめよ。日本銀行をして、総べての銀行を後援せしめよ。而して日本政府の力を以て、日本銀行を後援せしめよ。」「井上蔵相」 「市来日銀総裁」 「今日は非常の時にして、実に非常の施設を要す」「山本首相の特殊の肝煎による。知らず首相は、此の大気魄と大手腕ある乎」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12,13年□月□日) コラム 「自治の本義」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事・災害】 「今回の事変は、期せずして共存同保の必要を感ぜしめ之を著々事実の上に、実行せしめた」 「自警団、夜警団」 「自治の要は、自為にあり、自作にあり、自行にあり」 「既定の機関破壊するに於ては、直ちに応急機関を作りて、之を補ふにあり」 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正12,13年□月□日) コラム 「導く者となれ」 新聞切り抜き 1923 内容抜粋:【時事・災害】 「東京市の復興は復興院や、審議会のちからによらず、市民自ら拮据経営するがよし」 「東京市民先づ動いて、当局者を指導して可也」 蘇峰の漢詩「劫後偶成」、「国民新聞新築成、有作」も掲載 3F倉 蘇峰集1
国民新聞(大正11年9月□日) コラム 「杜樊川文集夾註に就て」 新聞切り抜き 1922 内容抜粋:【古書】「仙台図書館に於て、夾註零本二巻を発見」 3F倉 袋3
国民新聞(大正11年9月□日) コラム 「北海道漫遊記(十四) 礼拝堂と掬泉寮」 新聞切り抜き 1922 内容抜粋:【紀行文】「品川君は奇男児だ、快男児だ」 「大正11年9月5日午前6時半、明治38年の今月今日を想起しつつ、雨中の平和山を眺めて」 3F倉 袋3
国民新聞(大正11年9月□日) コラム 「北海道漫遊記(十六) 家庭学校農場を去る」 新聞切り抜き 1922 内容抜粋:【紀行文】「ガンボウ岩」「大正11年9月7日午前2時20分 網走町横山旅館の四顧寂寂の一室、電燈下に於て」 3F倉 袋3
国民新聞(大正11年9月□日) コラム 「北海道漫遊記(十八) 網走より釧路」 新聞切り抜き 1922 内容抜粋:【紀行文】「大正11年9月8日午前6時、釧路輪島屋の一室に於て」 3F倉 袋3
国民新聞(大正11年9月□日) コラム 「北海道漫遊記(十五) 家庭学校農場に於ける雨中の一日」 新聞切り抜き 1922 内容抜粋:【紀行文】「大正11年9月6日午前5時40分、家庭学校農場の侍従庵にて」 3F倉 袋3
国民新聞(大正11年9月□日) コラム 「北海道漫遊記(十二) 名寄より社名渕」 新聞切り抜き 1922 内容抜粋:【紀行文】「小北甚之助君」「名寄駅、網走線、宇津駅」「侍従庵、対平庵」「留岡君の樹下庵、品川君の掬泉庵」「大正11年9月4日午前6時 北見国社名渕家庭学校農場の侍従庵に於て」 3F倉 袋3