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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【口述筆記】原稿「シーボルトの説」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx5枚(蘇峰学人用箋使用) 「予は既に、日本人の身体上の特質から、日本人は、亜細亜或は新大陸に於ける、他の国民と或族戚関係を有せる事を提示した。」 蘇峰草稿6-637
【口述筆記】原稿「バルカンの花火」(昭和16年4月7日) 草稿・原稿 1941 鉛筆書き 14x19.5cmx32枚 「ユーゴ・スラヴィヤが三月二十五日議院に於て、日独伊三国同盟に加盟したことは、余りに出来過ぎた枢軸側に於ける成功であった。」「於南胃腸病院」 蘇峰草稿6-645
【口述筆記】原稿「フィッシャー博士の政治的小品文を読む 上下」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx9、9枚(蘇峰学人用箋使用) 「約一個年前、英国新聞にて、フィッシャー博士の小品文集の広告を見た。」 蘇峰草稿6-665
【口述筆記】原稿「ペルリーが日本に於ける遠征の目的は・・」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx5枚、3枚、4枚(蘇峰学人用箋使用) 「幸に日本及び太平洋に於ける自余の多くの島々は、尚ほ
此の傍若無人の政府の手がかかっていない。然もその或物は我が通商路に横って、合衆国にとってやがて最も重要なる地点となるべきものである。果して然らば、此際速かにこれを我有と為すの策を取ることを失ふべきでない。」 蘇峰草稿6-669
【口述筆記】原稿「一千号を迎へて 石井白露君の追憶・『実業之日本』への寄稿原稿」(昭和14年6月9日) 草稿・原稿 1939 万年筆書き 15.5x18cmx14枚(蘇峰学人用箋使用) 「『実業之日本』昭和14年7月号切り抜き同封」 蘇峰草稿2-255
【口述筆記】原稿「一日金嶺内田君晩晴草堂を訪ふ。」(昭和22年8月29日) 草稿・原稿 1947 毛筆書き 16x18cmx14枚(蘇峰学人用箋使用) 「曰く吾家台湾阿里山所産百日紅巨樹の火鉢を有す、若し先生の名文に拠て之を子孫に伝ふるを得は小生の望足ると。」 蘇峰草稿4-429
【口述筆記】原稿「三国枢軸の離間中傷」(昭和16年5月31日) 草稿・原稿 1941 鉛筆書き 13.5x19.5cmx22枚 蘇峰草稿2-276
【口述筆記】原稿「三大偶像破壊」(昭和13年3月5日) 草稿・原稿 1938 万年筆書き 18.5x26.5cmx12枚(徳富秘書課用箋使用) 「維新以来七十余年日本国民は未だ曽て自国を中心として世界の推移を考察したるものはない」  蘇峰草稿2-232
【口述筆記】原稿「三宅氏よりの依頼の祝辞」(昭和29年6月9日) 草稿・原稿 1954 鉛筆書き 19.5x25cm 「凡そ西洋の文明は得ると云ふ事取ると云ふ事儲けると云ふ事損せんと云ふ事・・所謂権利の思想が人生の根本原理となってをるようてあります・・我か東洋の文明は之に反し・・」 蘇峰草稿5-547
【口述筆記】原稿「三条実美」 草稿・原稿 万年筆書き 16.5x20cmx41枚(曖々村荘原稿紙使用) 「三条家は、清華の中に於て其の首に数へらるる名家にして、内大臣正一位大勲位三条実美は、藤原鎌足十一代閑院家の祖、太政大臣贈正一位藤原公季第三十三世の孫である。」 蘇峰草稿6-651
【口述筆記】原稿「世界は日本を買い被りたるにあらさるなき乎」 草稿・原稿 毛筆書き 19x78cm 蘇峰草稿6-672
【口述筆記】原稿「世界的に考察せよ」(昭和16年10月7日) 草稿・原稿 1941 万年筆書き 15.5x18cmx11枚(蘇峰学人用箋使用) 「我が将兵の支那に於ける大活動は、蒋介石をして心胆さむからしむるものがある。」 蘇峰草稿2-280
【口述筆記】原稿「中村汀女先生に第一回俳句斧正致ひし分」(昭和31年4月24日) 草稿・原稿 1956 毛筆書き 19x165cmの巻紙と16x23.5cmの俳句帳 蘇峰草稿5-594
【口述筆記】原稿「中野正剛君」(昭和18年) 草稿・原稿 1943 毛筆書き 19x880cm 「老生か中野君と相識りたるは君か朝日新聞の特派員として朝鮮京城に於て盛に筆鋒を揮ふ頃てあった 老生は其時京城日報の監督として年に幾回か京城に赴き明石警務総監の席上に於て君と相見た。」 蘇峰草稿6-692
【口述筆記】原稿「主要材料」 草稿・原稿 毛筆書き 巻物x8、原稿用紙x1枚 「伊藤、山県、井上、三浦の生年月日など」 蘇峰草稿6-642
【口述筆記】原稿「予が見たる蘇峰翁」(昭和24年1月29日) 草稿・原稿 1949 万年筆書き 17.5x20cmx88枚 「昭和二十四年三月十五日の誕辰賀会出席者に配る」「蘇翁の自画像なり 中島氏の名を仮りたるものなり」「翁は天性の伝道師である。曽て国民教育奨励会を作り、若くは青山会館を創立したるが如きも、余計な事に手を出したのではなくして、その伝道師たる本来の目的を達する、一の方法としたものであらう。翁の新聞若くは新聞雑誌、若くは著作さへも、翁に取ては伝道のための機関であったに外ならない。而して翁の伝道とは、仏教でもなければ、キリスト教でもなく・・我が日本を道義的日本となし、我が国家を道義的国家となし、皇室を中心とする倫理的国家を、東洋に樹立せんと欲するに在って、そのために一生を捧げ尽したが、それが現今の状態となって見れば、翁の志は全く事と相違したと云はねばならぬ。」 蘇峰草稿4-468
【口述筆記】原稿「京都は桓武天皇以来の旧都である。」(昭和13年4月) 草稿・原稿 1938 万年筆書き 15.5x18cmx9枚(蘇峰学人用箋使用)  蘇峰草稿2-234
【口述筆記】原稿「京都新聞七十五周年五月一日掲載分の一」(昭和29年4月21日) 草稿・原稿 1954 鉛筆書き 19.5x25.5cmx11枚(同内容の別紙あり) 「京都新聞発行七十五年の祝節に際し予に一文を徴せらるるは洵に欣幸の至りである 今自から顧みるに所謂知名もなく勇功もなき者であるが只だ日本の現在に於ては最も手数をくったる新聞記者であると同時に予が、ジャアーナリヅムに手を差出したるは明治十三年十八歳の時にして九十二歳の今日より、振り返へり見れは恰かも七十九年を経偶然にも京都新聞の発行と其の手数を同じくしたるが為に殊に京都新聞の発行を祝することは恰かも予自から新聞記者となりたることを祝するの心地して更に愉快に堪えざるものがある 概して云へば日本の新聞は徳川幕府を倒したる薩長人よりも彼等に依って倒されたる幕府若しくは幕府側に負ふところが多い」 蘇峰草稿5-542
【口述筆記】原稿「京都新聞七十五周年掲載分の二」(昭和29年4月22日) 草稿・原稿 1954 鉛筆書き 19.5x25.5cmx6枚(同内容の別紙あり) 蘇峰草稿5-543
【口述筆記】原稿「伊藤、山県 第三回目」(昭和31年1月6日) 草稿・原稿 1956 鉛筆書き 19.5x25.5cmx4枚 「今日の歴史家は物を重んじて人を軽んじ団体を尊ひ個人を卑しむる風あり 筆者は支那に於ける歴史の父と称す可き司馬遷かその史記を著すや特に列伝を設け個人に重きを置きたる史識に敬服禁する能はさるものかある」 蘇峰草稿5-587
【口述筆記】原稿「伊豆山独語(一)」(昭和25年2月18日) 草稿・原稿 1950 毛筆書き 16x18.5cmx13枚(蘇峰学人用箋使用) 「日本が何故にヒットラー、ムッソリニの全体主義者と提携したかと云へば、他に提携すべき相手が無かった為である。その事情は、英米二国でさへも、スターリンと提携し、ひたすらスターリンに迎合する事を、努めた事を以ても、知ることができる。」 蘇峰草稿4-457
【口述筆記】原稿「伊豆山独語(二)」(昭和25年2月19日) 草稿・原稿 1950 毛筆書き 16x18.5cmx20枚(蘇峰学人用箋使用) 「日本の敗戦は、自業自得である。日本が自らその責任を負ふ外はない。而してその敗戦の原因を総括して言へば、人物欠乏の一点に在り。」「日露戦争以来大東亜戦争に至る間に、日本は全く小人島化したのである。」 蘇峰草稿4-458
【口述筆記】原稿「伐謀の説」(昭和16年10月13日) 草稿・原稿 1941 万年筆書き 13.5x19.5cmx19枚 「「上兵は謀を伐つ」とは、兵法の妙諦だ。」 蘇峰草稿2-281
【口述筆記】原稿「八十八誕辰自述」(昭和25年3月15日) 草稿・原稿 1950 万年筆書き 16x18.5cmx16枚(蘇峰学人用箋使用) 「私共は、マックアーサー元帥の対日方針に、飽くまで協力し、且つ協力する事が、現在の日本にとっては、最も賢明の道と思ひますが、併し、さればとて、今日の所謂社会の風潮には、頗る共鳴できない事が多くあります。・・日本には、日本的民主国を扶植する事が、最も大切と考へます。・・さればアメリカに於ても、休戦の当時或る強国の反対にも拘らず、日本の皇室を維持する事に、方針を定めたのは、日本には日本流の民主政治を行はしめんとの、底意あったものと、忖度すべきであります。」 蘇峰草稿4-459
【口述筆記】原稿「八十六回誕辰 頑蘇先生(陳人)挨拶」(昭和23年3月15日) 草稿・原稿 1948 毛筆書き 18x26cmx11枚(海軍用箋使用) 「尚ほ我が日本の現状及び前途に就ては、いろいろ考へている事もありますが、今日釈放の身ではあるが、被追放者の一人として、当分尚ほ謹慎している必要ありと認めて居りますから、姑く沈黙を守る事と致します。」「27名の署名あり」 蘇峰草稿4-440
【口述筆記】原稿「八十翁の譫言」(昭和17年2月27日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx11枚(蘇峰学人用箋使用) 「往年加藤拓川君-恒忠-予に告げて曰く・・」「於民友社」 蘇峰草稿3-294
【口述筆記】原稿「医学博士住田正雄著『盆栽道』序文」(昭和6年) 草稿・原稿 1931 毛筆書き 24.5x33cm(民友社編輯部原稿用紙使用) 蘇峰草稿6-688
【口述筆記】原稿「南と北」(昭和17年2月20日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「今や皇軍は、積水を決するが如く、円石を転ずるが如く、南方に向って進出し、世界の地図を一変し、世界の歴史は一回転を来しつつあり。」「於熱海清快楼内楽閑荘」 蘇峰草稿3-293
【口述筆記】原稿「印度の独立には実力を要す(夕刊用)」(昭和17年6月15日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx10枚(蘇峰学人用箋使用) 「元来三億五千万の印度人が、十万にも足りない英人の為に支配せられ、英人の搾取機関として存在することは、不合理千万の極である。」 蘇峰草稿3-301
【口述筆記】原稿「各種草稿原稿控え類」 草稿・原稿 毛筆万年筆書き 「近世日本国民史の章立てメモあり30~38巻」 蘇峰草稿6-634