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資料一覧 14871 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【自筆】講演草稿「非常時に対する吾人の覚悟」(昭和9年2月6日 於青年会館) 草稿・原稿 1934 毛筆書き 18.5x1,000cm 蘇峰草稿2-161
【自筆】講演草稿「須走富士学校に於ける講演原稿」(昭和29年10月27日) 草稿・原稿 1954 毛筆書き 18.5x350cm 「第一諸君に敬意を表す漫談的に一二件」「日本の現状敗戦病・・但た足かけ十年既に甚たし」「山中湖畔皆宜荘に於て」「講演写真2枚同封」 蘇峰草稿5-556
【自筆】講演草稿「龍渓矢野先生と予」 草稿・原稿 毛筆書き 18.5x83cm 「第一 興味の広汎なる事 第二企業的精神の旺盛なる事 第三不老屈託せす日に進み月に新なる事 報知新聞の改革一世を聳動す」 蘇峰草稿1-100
【自筆】謹上控え「賀陽宮殿下(恭奉賀新)」(昭和19年1月1日) その他 1944 毛筆書き 31x42.5cm(蘇峰用箋使用) 「時局重大外敵退治勿論の事に候」「拙著「必勝国民読本」を近々刊行御手許迄献上仕度」「国内に充溢する頽廃気分享楽気質敗戦思想等は是非一掃仕度候」 蘇峰草稿3-346
【自筆】辞任届書下書き「貴族院議員辞任届書」(昭和19年5月19日) その他 1944 毛筆書き 18.5x35.5cm 「辞任御願 私儀病気に付貴族院議員辞任致度此段願上候也 昭和十九年五月十九日 貴族院議員徳富猪一郎 貴族院御中」「もう一枚下書き同封」 蘇峰草稿3-320
【自筆】辞表「社賓辞退の電報原文」(昭和20年8月15日) 草稿・原稿 1945 毛筆書き 17x25cm(蘇峰用箋使用) 「昭和二十年八月十五日 本日限貴社に賓辞退仕度間宜布御承引被下度候 以上 徳富猪一郎 高石会長 奥村社長 幹部人々御中」 蘇峰草稿3-386
【自筆】辞表「高石会長 奥村社長宛」(昭和20年8月15日) その他 1945 毛筆書き 「本日限り貴社に賓たることを辞退す 宜布御諒察を乞ふ 同時に多年の御厚情を感載す 徳富猪一郎 高石会長 奥村社長」「赤字にて添え書きあり」 18.5x58cm 蘇峰草稿3-382
【自筆】進講草稿「維新史考察の前提」(昭和2年5月22日) 草稿・原稿 1927 万年筆書き 20x28.5cmx11枚(和綴) 「於山王草堂 臣菅原正敬」 蘇峰草稿1-66
【自筆】雑記「随縁雑俎」(昭和26年3月31日~昭和29年12月28日) その他 1951 毛筆書き 15x20x2cm 「昭和二十八 六月五日は予か日比谷公会堂に於て戦後初度の講演を敢行したる日なり。」 蘇峰草稿4-467
【自筆(補訂)】年譜「蘇峰先生年譜(上冊)」(文久3年~明治38年) その他 1863 万年筆書き ? 『徳富蘇峰記念館所蔵民友社関係資料集』(三一書房)掲載Ⅵ-1〔草稿蘇峰先生年譜〕
【自筆(補訂)】年譜「蘇峰先生年譜(下冊)」(明治39年~昭和3年) その他 万年筆書き ? 『徳富蘇峰記念館所蔵民友社関係資料集』(三一書房)掲載Ⅵ-2〔草稿蘇峰先生年譜〕
【芳名帳】蘇峰文章報国四十年祝賀会来会者自署集 共三(昭和3年5月15日 熊本に於て) その他 1928 毛筆書き 21×9cm 芳名帳中身のタイトルは「徳富先生祝賀会員名簿」 蘇峰関係名簿
【英字新聞切り抜き】切抜き「Daily News」日英問題 蘇峰意見書(明治29年9月9日) 新聞切り抜き 1896 「Daily News」インタビュー記事 「The Englands of the East and West-An Interview with a Japanese Editor.」 60x7cm 封筒に蘇峰の毛筆で「日英問題蘇峰意見書」 蘇峰草稿1-13
【複写資料】原稿「三五庵雑筆」 その他 複写資料(作者不明) 18.5xcm 「日露戦争直後、私が大阪新報社に在勤して居た時・・」「第一人称の複数代名詞、英語のウイ(we)といふ所に福地氏の東京日日の吾曹は有名なもの、福沢氏の時事新報は我輩と云ひ、徳富氏の国民新聞は吾人と云ひ・・」 蘇峰草稿3-289
【複写資料】家庭週報第1257号「紀元節に際して蘇峰徳富先生のお話をきく」(昭和10年2月15日) その他 1935 複写資料(雑誌切抜きのコピー) 25.5x37cm 「日本女子大学校桜楓会発行」 蘇峰草稿2-177
【謄写】「大江社同人への質問書」(明治18年10月5日) 草稿・原稿 1885 G-1 毛筆書き 徳猪生の署名 「大江社同人への質問書の写し」「大江社諸君其他同志の方々」宛 24.5x16.5cmx3篇 蘇峰草稿1-3
【謄写】「蘇物手簡」(昭和5年~21年) その他 1930 万年筆書き 18x25.5cm(和綴) 「本書は終戦前後蘇翁佐倉順天堂佐藤物外博士と往復の手簡也 現在所有者篠塚正樹氏写」 蘇峰草稿1-98
【謄写】ノートブック「先生手簡控」(昭和26年5月5日~12月30日) その他 1951 万年筆書き(一部毛筆あり) 17.5x21.5cmx28枚 「『新島先生について』収録」 蘇峰草稿4-478
【謄写】原稿「岩国錦帯橋新設・永田新之允翁の依頼により先生筆記せられたるものを写す」(昭和28年5月31日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x200cm 「古川広家は毛利元就の孫にして毛利家一族の中に於ける麒麟児なり。」「火国後学蘇峰菅原正敬」「昭和28年6月30日静峰生写記」 蘇峰草稿5-524
【謄写】原稿「御来訪の賀陽恒憲氏に先生が差上られし一書『陳言一束』」(昭和24年1月16日) 草稿・原稿 1949 毛筆書き 15x18cmx3枚(蘇峰学人用箋使用) 「皇室中心主義は皇国の基調にして皇国の存する限りは此の主義は存す。・・」 蘇峰草稿4-449
【謄写】原稿「牧野氏に贈関雪画伯幅添状写」(昭和22年12月5日) 草稿・原稿 1947 毛筆書き 24.5x34.5cmx3枚(陸軍用箋使用) 「牧野良三氏宛か?」 蘇峰草稿4-434
【謄写】意見書「横田松雄(福岡早良町長)宛・政綱管見」(昭和26年3月30日) その他 1951 毛筆書き 18.5x158cm 「日本国民族の自主自尊自衛自給」「永世中立絶対平和は机上の空論なり」 蘇峰草稿4-473
【謄写】意見書「鳩山一郎宛・管見数則」(昭和27年11月11日) その他 1952 毛筆書き 18.5x325cm 「韮山水宝館に静養中の鳩山一郎氏を訪問の折同氏に手渡されたる管見なり」「占領七個年間の米習払拭の事」「日本人の自覚を取り戻す事」「今日の憂は中流階級の全滅にあり如何にして中流階級を護持すへきかは邦家百年の大計たる事」 蘇峰草稿4-471
【謄写】揮毫草稿「先生御揮毫控」(昭和22年) 草稿・原稿 1947 毛筆書き 各種揮毫や賛の控え 「大切」 蘇峰草稿4-435
【謄写】書簡控え「中曽根代議士宛」(昭和31年11月29日) その他 1956 鉛筆書き 18x23cmx2枚 「日ソ宣言発後に対する激励書簡」「老蘇先生より」 蘇峰草稿5-608
【謄写】書簡控え「久我貞三郎宛」(昭和29年9月20日) その他 1954 万年筆書き 15x17.5cmx6枚(蘇峰用箋使用・下書きあり) 「昨日は存じ懸なく御光臨被下、其の折は又淇水文庫の一件に付き種々従来の成行を申上けましたか逐一御聞き届け被下候様見受誠に快心の至りてありました。」「私は相成る可くは、蘆花弟記念を該文庫に残し度、それか当人の為にも又水俣の為にも、且は同族の私共のためにも・・」 蘇峰草稿5-550
【謄写】書簡控え「加藤司令閣下 私信手控え」(昭和18年1月12日) その他 1943 謄写資料(毛筆書き) 18.5x100cm 「托塩崎氏」 蘇峰草稿3-303
【謄写】書簡控え「天野文相宛・第三」(昭和26年4月17日) その他 1951 万年筆書き 25x34cmx2枚(二つ折り)・18.5x128cm(自筆毛筆書きあり)「日本国民教養の大半は支那印度の古典より由来す。印度は支那を経由し来れるものなれば、支那と云へば印度も其中に包含するものと知るべし」 蘇峰草稿4-476
【謄写】書簡控え「天野文相宛・管見一二」(昭和26年4月5日) その他 1951 万年筆書き 25x34cm(二つ折り) 「日本敗戦の原因多端なるも其の根本的の最要点は上下を挙げて各自の責任を忘却したるにあり。恐れながら上は天皇陛下より文官武官国民総階層を挙げて殆んど皆然りとす」「新島は吉田松陰の風格と新英州清教徒の品性とを併有せり」「文部省も老生の知る所によれば森有礼 井上毅の如きは其の尤も昭著なる人物なりき」「教育の要は理論よりも実物にあり 福沢翁も教育は耳より入らずして目より入るものなりと云ふ事是れ名言なり。」 書簡登録あり 蘇峰草稿4-469
【謄写】書簡控え「天野文相宛・陳言一則」(昭和26年4月9日) その他 1951 万年筆書き 25x34cm(二つ折り)・18.5x310cm(自筆毛筆書きあり) 「今日尤も閑却せられたる一は情育なり。」「自治の要は郷土愛より始まる。」「今日の我邦に於て尤も欠乏したるは報恩敬虔崇拝の心なり」 蘇峰草稿4-470