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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【自筆】原稿「勝田氏序文」(昭和31年4月29日) 草稿・原稿 1956 毛筆書き 19.5x165cm 「勝田重太郎君は現代新聞界の奇才也。」「君は信州男児として信州気質の持主たり。」 蘇峰草稿5-595
【自筆】原稿「北海道は太平洋終戦と同時我か日本に於ける国家経済上又国防上尤も重要の地点となった」 草稿・原稿 毛筆書き 20x275cm 「北海道の今日ある皆明治天皇の賜てある」 蘇峰草稿6-667
【自筆】原稿「吾友留岡氏」(昭和19年) 草稿・原稿 1944 毛筆書き 16x17.5cmx3枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿3-358
【自筆】原稿「国民史序文原稿」(昭和14年1月11日) 草稿・原稿 1939 万年筆書き 15.5x18cmx21枚(蘇峰学人用箋使用) 「例言 一・・」 蘇峰草稿2-251
【自筆】原稿「国民史序文原稿」(昭和14年5月3日) 草稿・原稿 1939 万年筆書き 15.5x18cmx21枚(蘇峰学人用箋使用) 「例言 一・・」「熱海ホテルの一室に於て」 蘇峰草稿2-254
【自筆】原稿「天は自ら助くる者を助く」(昭和29年5月9日) 草稿・原稿 1954 毛筆書き 18.5x70cm 「一切の責任は自分か負ふへきもの」「此の意外の時の覚悟か大切てある」「第二は諦めてしたばた騒かす其の成行に任すること 我か一心を以て環境を征伐すると云はす環境に一任することてある 自から顧みて疾しからさることか尤も必要てある」「・・晩晴草堂訪問の折左記草稿に因り老蘇先生三十分間に渡り御話を賜る 静峰生記」 蘇峰草稿5-544
【自筆】原稿「太田亮君の『姓氏家系大辞典』に就て」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-670
【自筆】原稿「富士山に就て」(昭和28年6月10日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x130cm 「老生は日本人として富士山を愛好し且つ尊敬す 富士は日本に於ける自然界の象徴てある」「明治九年十四歳の時遠州洋上より始めて望む」「彼理の来航の際も不二に心を打たる記事あり」 蘇峰草稿4-514
【自筆】原稿「小楠頌徳文」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx10枚(蘇峰学人用箋使用) 「他に原稿8枚あり」「維新開幕に際して和戦両党の運動及其の対抗運動・廃藩置県の顛末」 蘇峰草稿6-697
【自筆】原稿「山室軍平選集序文原稿」(昭和30年8月27日) 草稿・原稿 1955 鉛筆書き 15x17.5cmx4枚(蘇峰学人用箋使用) 「山室武甫氏依頼 30.8.15」「山室武甫名刺同封」 蘇峰草稿5-563
【自筆】原稿「弓矢は人類創始に際し生活必須の要具として発明せられ・・」(昭和29年4月17日) 草稿・原稿 1954 毛筆書き 18.5x117cm 「今や沢弁護士の捐資発起により斯の道場の開設らるるは洵に昭代の慶事にして我等の祝賀に禁へさる所なり」 蘇峰草稿5-541
【自筆】原稿「徳富氏と逗子の関係」 草稿・原稿 毛筆書き 20x62cm 「明治二十五年より始まる」「淇水翁夫婦は逗子永住を決したるは明治二十六年にあり 二十九年に新邸出来尓来今日に到れり 蘆花夫婦は此縁によりて逗子との関係は出来たり」 蘇峰草稿6-684
【自筆】原稿「忠孝伝家」(昭和21年7月2日) 草稿・原稿 1946 毛筆書き 18.5x310cm 「家族制度は我か皇室制度に次て皇国本来の国風にして千載護持す可き宝典なり 家族制度の要は家長を中心とし・・」「宮越家は信州稲荷山の旧家にして・・宮越家に宛てたものか?」「頑蘇陳人」「漢詩草稿同封あり」 蘇峰草稿4-411
【自筆】原稿「憂国苦言」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「犬養首相の横死は、維新以来政治史上に於ける、特□の悲惨事てあり、且つ不祥事てある。」 蘇峰草稿6-673
【自筆】原稿「我京都を愛す」 草稿・原稿 G-71 毛筆書き 20x140cm 「予もせめて一片の骨を新島先生墓畔に埋め度」「大人は世界を以て墳墓とする」 蘇峰草稿6-640
【自筆】原稿「故郷忘れ難し強て熊本弁の押売」(昭和32年9月30日) 草稿・原稿 1957 毛筆書き 20x155cm 蘇峰草稿5-621
【自筆】原稿「教化の効果」(昭和13年10月21日) 草稿・原稿 1938 万年筆書き 15.5x18cmx12枚(第一と第二計)(蘇峰学人用箋使用) 「当今の急務は、日本学を構成し、之を以て日本国民教育の基調となし、全日本国民をして、之に遵由せしむことてある。」  蘇峰草稿2-247
【自筆】原稿「教育に付て」(昭和31年5月12日) 草稿・原稿 1956 毛筆書き 20x220cm 「日本国は永久に存在すへき乎。大和民族は永久に存在すへき乎」「タブロイド版教育宣言(日本文教人連盟)同封」「塩崎宛佐藤通次書簡同封」 蘇峰草稿5-596
【自筆】原稿「新島は幸運なれともその幸運は自己の人格によりて得たるものなり」 草稿・原稿 毛筆書き 20x55cm 蘇峰草稿6-660
【自筆】原稿「新島先生を語る」(昭和28年11月24日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x340cm 「永き生涯には種々の人物に遭逢日本はかりてなく欧米中国朝鮮等千百を数ふ」「先生との初対面一見先生に魅了せられた 先生は三十四予は十四」「日本の教育は福沢先生の功利一点張てあった 然るに一人先生は西洋文明の根本たる基督教精神を以て日本を救済せんとするにあった」「私は同志社在学中人間の貴きことを教えられた。先生は心から人間の平等を認めた。」「私は先生に洗礼を返上した 私は先生の夫人に対しては随分非礼の言説をなした。」 裏打ち済 蘇峰草稿5-537
【自筆】原稿「新島先生言行録題辞」(明治24年9月日) 草稿・原稿 1891 毛筆書き(G-292) 20.5x24cmx6枚 『徳富蘇峰記念館所蔵民友社関係資料集』(三一書房)掲載Ⅴ-1〔諸関係資料〕
【自筆】原稿「新島襄と京都文化」(昭和28年12月9日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x200cm 「新島は熱血男児なり」 蘇峰草稿5-531
【自筆】原稿「新年賀状」(昭和29年1月1日) 草稿・原稿 1954 毛筆書き 19x24cm(縦書き横書きで2枚) 「貴家の御清福を祈る 熱海市伊豆山 徳富猪一郎」 蘇峰草稿5-561
【自筆】原稿「新聞の働きは概して第十九世以来てある」 草稿・原稿 毛筆書き 19.5x180cm 「凡そ新聞には経営 主筆 編集の三者の必要かある。」 蘇峰草稿6-661
【自筆】原稿「日本の皇室と国民」(昭和27年4月16日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x405cm 「日本は殆んと総ての制度文物宗教学問を外国より伝来輸入せり 唯た皇室のみは我国固有の産物なり されは若し国宝と云ふへきものを求めは日本第一の国宝は皇室てある」「蘇叟九十」 蘇峰草稿4-495
【自筆】原稿「日本同胞国民諸君」(昭和20年9月9日) 草稿・原稿 1945 毛筆書き 22.5x30cmx2枚 「自筆の草稿あり」 蘇峰草稿3-389
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第一 青年」(昭和27年8月2日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x117cm 「九十の老人青年には程遠き人間」「併し著者は今日も老書生てあり老青年てある 青年の気持ちも気分も能く判っている」「政党にも属せす官僚にも属せす軍人にも属せす学閥なく門閥なく財閥なく頂点立地独立の一人てある」「一生日本を愛し日本に奉仕せんか為めに生存したるものなり 故に諸君に向て此志を告け此志を結成せんことを期待するなり」「蘇叟九十」 蘇峰草稿4-501
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第三 敗戦学校」(昭和27年8月5日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x275cm 「現代の青年は振古未曽有の境地にあり 屈辱弱点 敗戦学校として巣鴨刑務所を日本全国に拡大したるなり」「絶対降伏の恩恵として民主主義と自由主義とか天降せり これは占領者の宣言なり然もその民主もその自由も彼等の所謂自由民主のみ日本人には彼等の自由も民主もなし」 蘇峰草稿4-501
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第二」(昭和27年8月4日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x200cm 「文豪にあらす文士文人にあらす・・新聞記者なり」「故に予は一面歴史家てあり他面青年の指導者を恒に期し居る□なり」 蘇峰草稿4-501
【自筆】原稿「日本国の相続者原稿五篇・第五 日本青年よ自尊心を取り戻せ」(昭和27年8月) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x200cm 「故に我等は一言す青年よ自尊心を取り戻せ。日本人たる自覚をせよ。」 蘇峰草稿4-501