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資料一覧 14842 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【口述筆記】原稿「吾れ、吾れを語る」(昭和24年5月18日) 草稿・原稿 1949 毛筆書き 19.5x25.5cmx21枚 「蘇翁曰く「我れ死する時は本文を朗読して貰ひたし」と」「先ず結論から言へば、予の八十有余年の生涯は、全く失敗であった。終戦の即下、予は 一生を棒にふりたるたわけ者 五尺のからだ置き所なし との俗謡を作った。」「新聞人たることが、国家に奉仕する予に取ては、最善の途であるということを信じて、それに身も魂も打ち込んだものである。新聞人としての予は、或時には帝王の師となり、或時には民衆の指導者となり、常に皇国の為に、現在は勿論、百年の大計を樹立せんことを努めた。」「維新の先輩等が行りかけたる仕事を完成する事が、即ち我等に遺されたる責任であるという事を自覚し、其の為に国論を指導せんことを試みたものである。」「可愛さ余って憎さが百倍、憎さが余って可愛さ千倍と云ふが、予の日本に対する心境である。せめて五百年の後には、日本よ、本来の面目に立還れ。」「蘇翁自述、中島筆記」 蘇峰草稿4-453
【口述筆記】原稿「国体に就て」(昭和27年9月22日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 20x105cm 「日本の国体は君を頭となし臣民を胴体となし之を合して国家となすものなり 故に之を一君万民の政体と云ふなり」「小池城衛氏に贈られし国体観なり」 蘇峰草稿4-506
【口述筆記】原稿「国史大観」(昭和27年10月3日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x445cm 「国史は日本精神の深泉なり大和民族自信自□の基本なり」「右原文は同日藤谷女史に与へられたるもの 静峰塩崎生拝写し保存するものなり」 蘇峰草稿4-507
【口述筆記】原稿「国史雑詠十首」(昭和17年3月7日) 草稿・原稿 1942 鉛筆書き 19.5x13.5cmx22枚 「国史雑詠とは、我か国史の史実に就てでは無い。国史そのものに就ての予の意見を、簡明に述べたるもの。」「於熱海清快楼内楽閑荘」 蘇峰草稿3-297
【口述筆記】原稿「国士舘再成記念祝詞」(昭和29年10月23日) 草稿・原稿 1954 鉛筆書き 19.5x25.5cmx3枚 蘇峰草稿5-554
【口述筆記】原稿「国士舘大学開学式」(昭和28年4月26日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x250cm 「国士舘大学の復興は我等の中心より慶賀に禁へさる所なり 時局一変以来百事混乱時に教育を以て最も甚しとなす。吾党の士柴田館長は夙に我等と斯志を同うする一人なり而して国士舘は君が畢生の心力をはくして創造し経営し且つ指導するところなり。・・いまや諸老逝くも小坂緒方諸先生あり」「当日静峰生参列祝辞す保存」 蘇峰草稿5-521
【口述筆記】原稿「国語第一」(昭和17年3月3日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx9枚(蘇峰学人用箋使用) 「国旗の向ふ所、貿易之に隋ふと云ふたが、其れよりも大切なるは、国語である。」「於熱海清快楼内楽閑荘」 蘇峰草稿3-296
【口述筆記】原稿「土に親ましめよ」(昭和17年6月4日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「或る同盟国の一記者は予に問ふて曰く。現時に於ける日本の武勇は、真に天下無敵である。」 蘇峰草稿3-300
【口述筆記】原稿「坂本・中岡最期」(昭和29年6月18日) 草稿・原稿 1954 万年筆書き 17x23.5cmx10枚(下書きあり) 「慶応三年十一月十五日は維新大改革の前触として実に思ひがけ無き不詳事が出来した。其れは云ふ迄も無く坂本龍馬、中岡慎太郎二人が同年、同月、同日、同所に於て幕府側の刺客に襲はれ、共に倒れたる日である。」 蘇峰草稿5-548
【口述筆記】原稿「大和民族の長所二(蘇峰先生最後の口述原稿のひとつ)」(昭和32年7月16日) 草稿・原稿 1957 万年筆書き 15x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿5-618
【口述筆記】原稿「大阪三宅歳雄・金光教関係」(昭和29年12月17日) 草稿・原稿 1954 毛筆書き 19.5x25.5cm 「・・世界にも偉大なる新聞記者は少なくないが、七十五年の記者としてのレコードを持つ者は余りに多くはないかと思ふ。」「第一新聞は報道の任務を持つものてある 第二説明の義務を持つものてある 第三指導の義務を持つものてある」 蘇峰草稿5-558
【口述筆記】原稿「天変地異の国(蘇峰先生最後の口述原稿のひとつ)」(昭和32年7月19日) 草稿・原稿 1957 万年筆書き 15x17.5cmx6枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿5-618
【口述筆記】原稿「天朝正学」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-638
【口述筆記】原稿「孔子曰十室之邑必有忠信・・」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx3枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-683
【口述筆記】原稿「実業之世界社・野依秀一社長に贈る祝辞」(昭和28年9月28日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x410cm 「野依社長か殆んど半世紀に亙って孤軍長駆実業之世界社を築き上けられた業績は誰しも感心する殊に君と同一の業務に従事したる予は君に向って同情し且つ慶賀禁ずる能はざるものである・・」「君は明治時代の大物大隈渋沢の諸先生を勝手に引っはり廻しサンドイッチマンの役目を勤めしめ或は又三宅雪嶺翁をして恒久不息の寄書家たらしめたるが如き何人も追随する能はさる鮮かな腕前を持っている」 蘇峰草稿5-529
【口述筆記】原稿「岡村二一東京タイムス社長・十一周年記念号祝辞」(昭和32年2月1日) 草稿・原稿 1957 万年筆書き 15x17.5cmx13枚(蘇峰学人用箋使用) 「老生は、岡村東京タイムス社長か、現代新聞人として、尤も有望なる一人てあることを聞いて居た。然るに偶然東京、熱海間の汽車中にて相会し、初めて親しく君と相語ることを得た。」 下書きあり 蘇峰草稿5-610
【口述筆記】原稿「岳麓勤石」(昭和28年10月15日) 草稿・原稿 1953 万年筆書き 18x23cmx3枚 「大正二年八月予病むや親交阿部無仏平福百穂等予を慫慂して岳麓青龍寺に静養せしむ住職実巌和尚当時眉目秀麗の青年なりき・・」 蘇峰草稿5-532
【口述筆記】原稿「岳麓雑詠」(昭和16年8月27日) 草稿・原稿 1941 万年筆書き 15.5x18cmx11枚(蘇峰学人用箋使用) 「福沢翁は、鯱矛立ちは芸の中ではないと云ふた。予が詩も恐らくは・・」 蘇峰草稿2-278
【口述筆記】原稿「左伝紀事」(昭和7年) 草稿・原稿 1932 万年筆書き 16x17.5cmx6枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿1-114
【口述筆記】原稿「希臘の盛時は、日本が漸く文化の曙光を望んだ時でありました。」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx6枚(蘇峰学人用箋使用) 「先づ日本と希臘の文化的距離は、中間に二千年の距離があると申して差支えありません。然るに此の両国は、頗る類似してをります。」 蘇峰草稿6-677
【口述筆記】原稿「幽居の片影(清書版)」(昭和22年10月16日) 草稿・原稿 1947 万年筆書き 16x19cmx124枚 「昭和二十二年十月一日、熱海晩晴草堂に於て、老樹の間より高き青き空を眺め、一昨年即ち昭和二十年山中湖畔双宜荘に於ける、当時の心境を回想し、感慨に勝へざるものがある。」 蘇峰草稿4-431
【口述筆記】原稿「幽居の片影(頑蘇八十五口述)」(昭和22年10月1日~15日) 草稿・原稿 1947 鉛筆書き 19x26cmx43枚 蘇峰草稿4-430
【口述筆記】原稿「広瀬淡窓先生百年祭祝詞」(昭和30年10月24日) 草稿・原稿 1955 毛筆書き 15x17.5cmx3枚(蘇峰学人用箋使用) 「淡窓広瀬先生は、日本に於ける卓越の詩人にして、偉大なる教育家なり。」「火国後学蘇峰菅原正敬頽齢九十三」 蘇峰草稿5-567
【口述筆記】原稿「建武中興は明治維新の序幕である」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-654
【口述筆記】原稿「御挨拶(蘇峰先生最後の口述原稿のひとつ)」(昭和32年7月15日) 草稿・原稿 1957 万年筆書き 15x17.5cmx5枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿5-618
【口述筆記】原稿「御親閲を恭くする全国の青年諸君に告ぐ」 草稿・原稿 鉛筆書き 13.5x19.5cmx30枚 「来る二十二日には、日本全国青年学校代表三万五千人が、畏くも宮城前の広場に於て、御親閲の光栄に浴することとなった。」 蘇峰草稿6-675
【口述筆記】原稿「徳富静子伝序文」(昭和29年9月28日) 草稿・原稿 1954 万年筆書き 19.5x25.5cmx5枚 「平常院と申しますのは亡妻静子の戒名てあります。本年は当人の七周忌てありますから、何そ当人の為に書き残して置きたいと社中の方に申し渡して高橋源一郎、塩崎彦市両君の手ていよいよこの一冊か出来上りました。高橋君は平常院の青山大森時代から塩崎君は大森時代から、熱海時代にかけては最も交渉多く・・当人の地下の霊も定めて感謝するてあろうと思ひます」 蘇峰草稿5-551
【口述筆記】原稿「徳川家康伝」 草稿・原稿 万年筆書き 16.5x20cmx34枚(曖々村荘原稿紙使用) 「織田信長は創意的の英雄であり、豊臣秀吉は建設的の英雄であったが、徳川家康は創意建設の両者を兼備したる大成の英雄である。」 蘇峰草稿6-653
【口述筆記】原稿「志士中野正剛・作詩三上成水」(昭和31年9月4日) 草稿・原稿 1956 万年筆書き 18x23cm 「静峰生加筆」 蘇峰草稿5-603
【口述筆記】原稿「忠魂碑除幕式祝電・長野県埴科郡戸倉町米沢町長宛」(昭和31年11月19日) 草稿・原稿 1956 鉛筆書き 18x26cm 「忠魂碑序幕に当り殉国各位の霊に恭しく敬意を捧く 徳富」 蘇峰草稿5-606