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資料一覧 14733 件
資料名 種別 年代 画像 備考
【口述筆記】原稿「伊藤、山県 第三回目」(昭和31年1月6日) 草稿・原稿 1956 鉛筆書き 19.5x25.5cmx4枚 「今日の歴史家は物を重んじて人を軽んじ団体を尊ひ個人を卑しむる風あり 筆者は支那に於ける歴史の父と称す可き司馬遷かその史記を著すや特に列伝を設け個人に重きを置きたる史識に敬服禁する能はさるものかある」 蘇峰草稿5-587
【口述筆記】原稿「伊豆山独語(一)」(昭和25年2月18日) 草稿・原稿 1950 毛筆書き 16x18.5cmx13枚(蘇峰学人用箋使用) 「日本が何故にヒットラー、ムッソリニの全体主義者と提携したかと云へば、他に提携すべき相手が無かった為である。その事情は、英米二国でさへも、スターリンと提携し、ひたすらスターリンに迎合する事を、努めた事を以ても、知ることができる。」 蘇峰草稿4-457
【口述筆記】原稿「伊豆山独語(二)」(昭和25年2月19日) 草稿・原稿 1950 毛筆書き 16x18.5cmx20枚(蘇峰学人用箋使用) 「日本の敗戦は、自業自得である。日本が自らその責任を負ふ外はない。而してその敗戦の原因を総括して言へば、人物欠乏の一点に在り。」「日露戦争以来大東亜戦争に至る間に、日本は全く小人島化したのである。」 蘇峰草稿4-458
【口述筆記】原稿「伐謀の説」(昭和16年10月13日) 草稿・原稿 1941 万年筆書き 13.5x19.5cmx19枚 「「上兵は謀を伐つ」とは、兵法の妙諦だ。」 蘇峰草稿2-281
【口述筆記】原稿「八十八誕辰自述」(昭和25年3月15日) 草稿・原稿 1950 万年筆書き 16x18.5cmx16枚(蘇峰学人用箋使用) 「私共は、マックアーサー元帥の対日方針に、飽くまで協力し、且つ協力する事が、現在の日本にとっては、最も賢明の道と思ひますが、併し、さればとて、今日の所謂社会の風潮には、頗る共鳴できない事が多くあります。・・日本には、日本的民主国を扶植する事が、最も大切と考へます。・・さればアメリカに於ても、休戦の当時或る強国の反対にも拘らず、日本の皇室を維持する事に、方針を定めたのは、日本には日本流の民主政治を行はしめんとの、底意あったものと、忖度すべきであります。」 蘇峰草稿4-459
【口述筆記】原稿「八十六回誕辰 頑蘇先生(陳人)挨拶」(昭和23年3月15日) 草稿・原稿 1948 毛筆書き 18x26cmx11枚(海軍用箋使用) 「尚ほ我が日本の現状及び前途に就ては、いろいろ考へている事もありますが、今日釈放の身ではあるが、被追放者の一人として、当分尚ほ謹慎している必要ありと認めて居りますから、姑く沈黙を守る事と致します。」「27名の署名あり」 蘇峰草稿4-440
【口述筆記】原稿「八十翁の譫言」(昭和17年2月27日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx11枚(蘇峰学人用箋使用) 「往年加藤拓川君-恒忠-予に告げて曰く・・」「於民友社」 蘇峰草稿3-294
【口述筆記】原稿「医学博士住田正雄著『盆栽道』序文」(昭和6年) 草稿・原稿 1931 毛筆書き 24.5x33cm(民友社編輯部原稿用紙使用) 蘇峰草稿6-688
【口述筆記】原稿「南と北」(昭和17年2月20日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「今や皇軍は、積水を決するが如く、円石を転ずるが如く、南方に向って進出し、世界の地図を一変し、世界の歴史は一回転を来しつつあり。」「於熱海清快楼内楽閑荘」 蘇峰草稿3-293
【口述筆記】原稿「印度の独立には実力を要す(夕刊用)」(昭和17年6月15日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx10枚(蘇峰学人用箋使用) 「元来三億五千万の印度人が、十万にも足りない英人の為に支配せられ、英人の搾取機関として存在することは、不合理千万の極である。」 蘇峰草稿3-301
【口述筆記】原稿「各種草稿原稿控え類」 草稿・原稿 毛筆万年筆書き 「近世日本国民史の章立てメモあり30~38巻」 蘇峰草稿6-634
【口述筆記】原稿「吾れ、吾れを語る」(昭和24年5月18日) 草稿・原稿 1949 毛筆書き 19.5x25.5cmx21枚 「蘇翁曰く「我れ死する時は本文を朗読して貰ひたし」と」「先ず結論から言へば、予の八十有余年の生涯は、全く失敗であった。終戦の即下、予は 一生を棒にふりたるたわけ者 五尺のからだ置き所なし との俗謡を作った。」「新聞人たることが、国家に奉仕する予に取ては、最善の途であるということを信じて、それに身も魂も打ち込んだものである。新聞人としての予は、或時には帝王の師となり、或時には民衆の指導者となり、常に皇国の為に、現在は勿論、百年の大計を樹立せんことを努めた。」「維新の先輩等が行りかけたる仕事を完成する事が、即ち我等に遺されたる責任であるという事を自覚し、其の為に国論を指導せんことを試みたものである。」「可愛さ余って憎さが百倍、憎さが余って可愛さ千倍と云ふが、予の日本に対する心境である。せめて五百年の後には、日本よ、本来の面目に立還れ。」「蘇翁自述、中島筆記」 蘇峰草稿4-453
【口述筆記】原稿「国体に就て」(昭和27年9月22日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 20x105cm 「日本の国体は君を頭となし臣民を胴体となし之を合して国家となすものなり 故に之を一君万民の政体と云ふなり」「小池城衛氏に贈られし国体観なり」 蘇峰草稿4-506
【口述筆記】原稿「国史大観」(昭和27年10月3日) 草稿・原稿 1952 毛筆書き 18.5x445cm 「国史は日本精神の深泉なり大和民族自信自□の基本なり」「右原文は同日藤谷女史に与へられたるもの 静峰塩崎生拝写し保存するものなり」 蘇峰草稿4-507
【口述筆記】原稿「国史雑詠十首」(昭和17年3月7日) 草稿・原稿 1942 鉛筆書き 19.5x13.5cmx22枚 「国史雑詠とは、我か国史の史実に就てでは無い。国史そのものに就ての予の意見を、簡明に述べたるもの。」「於熱海清快楼内楽閑荘」 蘇峰草稿3-297
【口述筆記】原稿「国士舘再成記念祝詞」(昭和29年10月23日) 草稿・原稿 1954 鉛筆書き 19.5x25.5cmx3枚 蘇峰草稿5-554
【口述筆記】原稿「国士舘大学開学式」(昭和28年4月26日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x250cm 「国士舘大学の復興は我等の中心より慶賀に禁へさる所なり 時局一変以来百事混乱時に教育を以て最も甚しとなす。吾党の士柴田館長は夙に我等と斯志を同うする一人なり而して国士舘は君が畢生の心力をはくして創造し経営し且つ指導するところなり。・・いまや諸老逝くも小坂緒方諸先生あり」「当日静峰生参列祝辞す保存」 蘇峰草稿5-521
【口述筆記】原稿「国語第一」(昭和17年3月3日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx9枚(蘇峰学人用箋使用) 「国旗の向ふ所、貿易之に隋ふと云ふたが、其れよりも大切なるは、国語である。」「於熱海清快楼内楽閑荘」 蘇峰草稿3-296
【口述筆記】原稿「土に親ましめよ」(昭和17年6月4日) 草稿・原稿 1942 万年筆書き 15.5x18cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 「或る同盟国の一記者は予に問ふて曰く。現時に於ける日本の武勇は、真に天下無敵である。」 蘇峰草稿3-300
【口述筆記】原稿「坂本・中岡最期」(昭和29年6月18日) 草稿・原稿 1954 万年筆書き 17x23.5cmx10枚(下書きあり) 「慶応三年十一月十五日は維新大改革の前触として実に思ひがけ無き不詳事が出来した。其れは云ふ迄も無く坂本龍馬、中岡慎太郎二人が同年、同月、同日、同所に於て幕府側の刺客に襲はれ、共に倒れたる日である。」 蘇峰草稿5-548
【口述筆記】原稿「大和民族の長所二(蘇峰先生最後の口述原稿のひとつ)」(昭和32年7月16日) 草稿・原稿 1957 万年筆書き 15x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿5-618
【口述筆記】原稿「大阪三宅歳雄・金光教関係」(昭和29年12月17日) 草稿・原稿 1954 毛筆書き 19.5x25.5cm 「・・世界にも偉大なる新聞記者は少なくないが、七十五年の記者としてのレコードを持つ者は余りに多くはないかと思ふ。」「第一新聞は報道の任務を持つものてある 第二説明の義務を持つものてある 第三指導の義務を持つものてある」 蘇峰草稿5-558
【口述筆記】原稿「天変地異の国(蘇峰先生最後の口述原稿のひとつ)」(昭和32年7月19日) 草稿・原稿 1957 万年筆書き 15x17.5cmx6枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿5-618
【口述筆記】原稿「天朝正学」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx7枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-638
【口述筆記】原稿「孔子曰十室之邑必有忠信・・」 草稿・原稿 万年筆書き 15.5x17.5cmx3枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿6-683
【口述筆記】原稿「実業之世界社・野依秀一社長に贈る祝辞」(昭和28年9月28日) 草稿・原稿 1953 毛筆書き 18.5x410cm 「野依社長か殆んど半世紀に亙って孤軍長駆実業之世界社を築き上けられた業績は誰しも感心する殊に君と同一の業務に従事したる予は君に向って同情し且つ慶賀禁ずる能はざるものである・・」「君は明治時代の大物大隈渋沢の諸先生を勝手に引っはり廻しサンドイッチマンの役目を勤めしめ或は又三宅雪嶺翁をして恒久不息の寄書家たらしめたるが如き何人も追随する能はさる鮮かな腕前を持っている」 蘇峰草稿5-529
【口述筆記】原稿「岡村二一東京タイムス社長・十一周年記念号祝辞」(昭和32年2月1日) 草稿・原稿 1957 万年筆書き 15x17.5cmx13枚(蘇峰学人用箋使用) 「老生は、岡村東京タイムス社長か、現代新聞人として、尤も有望なる一人てあることを聞いて居た。然るに偶然東京、熱海間の汽車中にて相会し、初めて親しく君と相語ることを得た。」 下書きあり 蘇峰草稿5-610
【口述筆記】原稿「岳麓勤石」(昭和28年10月15日) 草稿・原稿 1953 万年筆書き 18x23cmx3枚 「大正二年八月予病むや親交阿部無仏平福百穂等予を慫慂して岳麓青龍寺に静養せしむ住職実巌和尚当時眉目秀麗の青年なりき・・」 蘇峰草稿5-532
【口述筆記】原稿「岳麓雑詠」(昭和16年8月27日) 草稿・原稿 1941 万年筆書き 15.5x18cmx11枚(蘇峰学人用箋使用) 「福沢翁は、鯱矛立ちは芸の中ではないと云ふた。予が詩も恐らくは・・」 蘇峰草稿2-278
【口述筆記】原稿「左伝紀事」(昭和7年) 草稿・原稿 1932 万年筆書き 16x17.5cmx6枚(蘇峰学人用箋使用) 蘇峰草稿1-114